力の源


その日の午後からマルーのストライキが始まった。
勉強時間になると自分の部屋に閉じこもり、何を言っても出て来ない。
メイソンがあの手この手を駆使したが、全てが徒労に終わっていた。
もちろんバルトも駆り出されたが、どういうわけか今回ばかりは効き目がなかった。
それでも諦める訳にはいかず、今日もまたメイソンは開かないドアを叩き続けていた。
「マルー様、出て来て下さい。」
「やだ!!」
マルーとメイソンがドア越しに押し問答してるところに、ギア・ハンガーに通じるドアを開けて
シグルドが現れた。
「メイソン卿、今日もですか?」
「あ、シグルド殿。若の方はどうなされたんです?」
「少し一人で練習してもらっています。それより、また閉じこもってるんですか?」
シグルドは開く気配がまったくないドアを見つめながら尋ねた。
「えぇ。まったくどうしたものか・・・」
メイソンが腕を組みながら困り果てた顔をした。
それを横目で見つつ、シグルドも試しにドアを叩いてみた。
「マルー様、エーテル術の勉強をしましょう。出て来て下さい。」
「ヤダよ!!若と一緒じゃなきゃ勉強しないから!」
シグルドがメイソンの方を振り返ると、この紳士は肩を竦めて頷いてみせた。
「何を言っても『いやだ。若と一緒じゃないと勉強しない。』の一点張りでございます。
 いつもはこんなに我が侭をおっしゃらないのに。困ったものですな。」
メイソンが愚痴のように漏らした言葉に、シグルドは軽い引っ掛かりを覚えた。
が、それは形になる前に消え去ってしまう。
シグルドは無理に追求するのを諦めて、メイソンと共にマルーを説得し続けた。
しかし、結局マルーは姿を見せずにその日も終わったのだった。


次の日、バルトは昼食が終わってすぐにマルーに話し掛けられた。
「ねぇ、若。外の方に遊びに行こうよ。」
ユグドラシルは遺跡発掘の為、今は一つの場所にずっと停泊していた。
モンスターが出て危険だからと、シグルドとメイソンには止められていたが、
幼い二人はそんな言い付けを無視して、何度かユグドラシルを抜け出して外に遊びに
出かけていた。
艦内に閉じ込められて飽き飽きしていた二人にとって、外の世界は目新しい物が一杯で
じっとしているのが無理なくらい魅力的だった。
それで、勉強をサボって出かけることもあったが、別々に勉強することになってからは
一度も出かけていなかった。
「最近、外に出てないし。行こう!」
「ダメだ。今から出かけたら、勉強時間までに戻って来れないだろ。」
鞭の練習に燃えているバルトはつれなく断った。が、マルーはなぜか必死な表情で
食い下がった。
「サボればいいでしょ?一緒に出かけようよ。」
「そんなにエーテル術の勉強がイヤなのか?」
バルトに切り返されて、マルーは沈黙してしまった。そんなマルーにバルトはため息を
漏らした。
「あんまり爺を困らせるなよ。とにかく、俺は一緒に出かけないからな。」
そう宣言してバルトはマルーを残してその場を去って行った。
一人になったマルーは唇をかみ締めて何事かを考えていた。
しばらくそのままの態勢でいた後、あることを思いついてマルーはすぐに駆けていった。


鞭の練習用の服に着替えたバルトは、一足早くギア・ハンガーに向かった。
ギア・ハンガーに入ってすぐ、練習場に小さな人影を見つけた。マルーだった。
マルーは何かを探すようにそこら中をひっくり返していた。
そして、目当ての物を見つけたのか、何かを持って立ち上がった。
遠くから見てそれが何だかわかったバルトは、急いでマルーの元に駆けていった。
「マルー、何してんだ!」
バルトが来ていることに全然気が付かなかったのか、マルーはひどく驚いた顔をしたが
手に持っていた物を急いで自分の後ろに隠した。
しかし、バルトにはそれが何なのかお見通しだった。
「その鞭をどうするつもりだ?」
バルトはきつい口調で詰問した。
「鞭がなかったら若は練習なんかしないでしょ?」
マルーはばれていたことにバツの悪い顔をしたが、バルトを真正面から見据えて
言い切った。
その答えとマルーの様子に、バルトの頭に血が上った。
練習を開始してから、バルトの腕は一向に上達しなかった。
両腕にたくさん傷を作っても諦めずに頑張っているのに、それを邪魔しようとしている
ようにしか思えないマルーの行動にバルトはむかついていた。
「お前、我が侭もいい加減にしろよな!鞭を返せよ!」
バルトが強引にマルーから鞭を取り返そうとすると、思わぬ力でこの年下の従妹は
抵抗してきた。
「やだ!返さないもん!」
勝気な瞳で見返してくるマルーに、バルトはカッとして思わず手を振り上げた。
マルーは殴られることを覚悟して思わず目をつぶった。が、いつまでたっても衝撃は
やってこなかった。
恐る恐る開けたマルーの目にバルトの腕を掴んで止めている褐色の腕が映った。
「シグ!」
マルーと自分を止めた人物を振り返ったバルトの声が重なった。
シグルドは掴んでいたバルトの腕を放すと厳しく尋ねた。
「若、一体どういうことですか?マルー様を殴ろうとするなんて言語道断です!」
バルトは一瞬後悔したような顔を見せたが、思い直したように強気な態度でシグルドに
マルーが何をしようとしたかを告げた。
それを聞いて、シグルドはしゃがみ込んで幼い少女と視線を合わせた。
「マルー様、鞭を捨てるおつもりだったんですか?」
マルーは視線を逸らして小さく頷いた。
「どうしてそんなことを?若と勉強したいからですか?」
「違うもん!若に鞭の練習をして欲しくないだけだもん。」
俯いたまま小声で答えたマルーに、それのどこが違うんだと口を挟もうとしたバルトを
目で止めて、シグルドは更に尋ねた。
「どうして若が鞭の練習をするのが嫌なんですか?」
「ボク、もう見たくないんだ。」
シグルドは少女の肩が小さく震えていることに気付いた。
「若が鞭で怪我をするのをもう見たくない!!」
顔を上げてそう言ったマルーの瞳は、シグルドの予想通り涙で一杯だった。
ただ予想と違って、まだ一粒も零れてはいなかったが。
「どうして鞭の練習なんかしなきゃいけないの?
あんなにたくさん傷を作ってまで練習しなきゃダメなの?
ボクはもう若に鞭で怪我をして欲しくないのに・・・」
その言葉に、シグルドはずっと疑問に思っていたことが分かった。
マルーは普段あまり我が侭を言わない。
なのに、どうして何日も閉じこもって自分の意志を通そうとしたのか?
それはひとえにバルトに鞭の練習を止めさせたい為。
だから、マルーは『バルトと一緒のことをさせろ。鞭の練習をしたい。』と言わなかったのだ。
あの時感じた引っ掛かりの謎が解けた。
日に日に増えていくバルトの腕の鞭の傷に、この幼い少女は人知れず
心を痛めていたのだ。
自分をかばってバルトが鞭で打たれた時のことを思い出して。自分をひどく責めて。
それに気付いてやれなかった自分をシグルドは不甲斐なく思った。
バルトのように目に見える後遺症を示さなかったが、マルーもまたひどく心が
傷ついていたのは重々承知していたはずだったのに。
ついバルトの方を優先してしまい、最高の解決策と考えていたことで、マルーの心の傷を
かきむしっていたとは思いもしなかった。
せめて一言でもそう言ってくれれば良かったのに。自分勝手ながらそう思う。
しかし、幼いながらも心配をかけたくないとマルーは思ったのであろう。
バルトに鞭を習わせる理由をマルーに説明していなかったことを後悔しながら、
シグルドはとりあえずマルーをなだめようと口を開いた。
「マルー様、それは・・・」
「だから、鞭なんてなければいいんだ!こんな物、いらない!」
シグルドの言葉を遮って激しい口調で言うと、マルーは鞭を持ったまま走り去った。
止めようと伸ばしたシグルドの手は、あと少しの所でマルーに届かなかった。


マルーは鞭を握り締めて走り、ユグドラシルの外に出ていた。
鞭をバルトが見つけられない所に捨てたかった。
がむしゃらに走っていたマルーは、何かに躓いて盛大に転んだ。
その拍子に、今まで堪えていた涙がマルーの瞳からとうとう零れた。
一度溢れ出した涙は止まることを知らず、マルーは起き上がらずにそのまま泣き続けた。
救出されてからマルーはどんなに泣きたくても、自分に涙を許すことをしなかった。
あの光の射さない部屋で自分がどんなに無力か思い知った。
かばわれるだけの自分に唯一できることは、涙をみせず辛いという顔をしないことだけ
だった。
その誓いはずっと続いていたが、マルーはとうとう誓いを破った。
今まで我慢していた分も泣いて、もうなんで泣いているのか分からなくなるまで泣いた後、
マルーは近付いて来る足音に気が付いて顔を上げた。
涙でかすんだ目に太陽の光を一身に浴びてこちらに向かって走ってくるバルトの姿が
映った。
マルーは急いで袖で目元を拭った。一番涙を見せたくない相手だったから。
しかし、息を切らして近付いてきたバルトは、散々泣いて真っ赤になっているマルーの目を
見てすぐ事情が分かったようだった。
が、賢明にもそのことには触れず、マルーが立ち上がろうとするのに黙って手を貸した。
「あっ、血が出てるぞ。」
バルトはマルーの脚についている砂を払ってやろうとしゃがんで、転んだ際にすりむいた
マルーの膝に血が滲んでいるのに気が付いた。
そこだけは注意深く砂を払って、あとは大雑把に砂を落としてバルトは勢い良く
立ち上がった。
「マルー、ユグドラに帰ろう。洗って薬をつけなきゃ。みんなも心配してるぞ。」
頭をポンポンとされながら穏やかに告げられた言葉に、なぜかマルーはまた泣きたくなった。
「マルー?」
思わず俯いたマルーの顔を心配そうにバルトは覗き込んだ。
その優しい視線から無理に顔を逸らしてマルーはバルトに背中を向けた。
「若が鞭の練習を止めるって約束してくれなきゃ帰らない。」
少しかすれた声で、でもきっぱりとマルーは言った。
これだけはどうしても譲れなかった。
華奢な背中で強い意志を告げてくる従妹を見つめながら、バルトはどう言えばいいか
悩んだ。
沈黙が流れ、一陣の風が砂を巻き上げながら通り過ぎていった。
ようやくバルトが何か言いかけた時、異変が起こった。
低い唸り声が風に乗って、幼い二人の耳に届いたのだ。
ハッとして声が聞こえた方を見た二人は、黒い影が様子を伺いながらゆっくりと
近付いてくるのに気付いた。
『モンスターが出て危険ですから、決してお二人だけで外にお出でになっては
 いけませんよ。』
何度も言い聞かされた注意が脳裏をよぎる。
「若・・・」
不安そうに自分を見上げるマルーに大丈夫と笑ってやりながら、バルトは頭を素早く
回転させた。
(逃げるか?いや、マルーは怪我してるし無理だ。)
思いついた案を一瞬で却下する。だとしたら、答えは一つ。
「マルー、鞭をよこせ!」
「えっ?」
「早くこっちに渡せ!」
戸惑っているマルーから鞭を取ろうとしてバルトの気が逸れた隙に、それまでじっとしていた
モンスターがいきなり踊りかかってきた。
マルーを抱えて横っ飛びしてそれをどうにか避けると、バルトは鞭を手にモンスターに向き合った。
まだまだ子供であるバルトは、自分より数倍大きいモンスターに恐怖を覚えた。
しかし、後ろにかばっている何よりも大事な存在が、逃げ出さずにその場に留まって戦う
勇気をバルトに与えていた。
先手必勝とばかりにバルトはモンスターに向かって鞭を振るった。
が、戻ってくる鞭にやはり目をつぶってしまう。
「若っ!!」
悲鳴に近いマルーの声にハッと瞳を見開いたバルトは、襲ってきたモンスターの牙を
ギリギリでよけた。
「若、大丈夫?」
「大丈夫だ!怪我はしてない!」
後ろを向かずにバルトは安心させるように大声を出した。
「ごめんね。ボクまた何も出来ない。ごめん、ごめんね。」
マルーの悲痛な声が耳に届く。その声に過去の辛い思い出を振り切る様にバルトは
頭を振った。
(いつまでグダグダと過去にこだわってるんだ!そんなことしてる場合じゃないだろ!
 今、マルーを守れるのはこの鞭だけなんだ!俺だけなんだぞ!!)
強く自分に言い聞かせて、目を爛々と光らせているモンスターを睨みつけた。
汗の滲む手で鞭を持ち直しながら、シグルドの言葉を思い出す。
(敵をしっかり見据えて鞭を振り下ろすんだよな。)
渾身の力を込めてバルトは鞭をモンスターに叩きつけた。
(で、返ってきた鞭から視線を逸らさないで受け止める!!)
バルトは伸ばした左手で鞭を掴んだ。
掴みきれなかった鞭が腕に当たって赤く跡を残したが、バルトはそんなことは
気にしなかった。
練習を開始してから初めて鞭を受け止めることが出来た嬉しさに痛みは吹っ飛んでいた。
(よしっ、いけるぞ!)
手応えを得てバルトは鞭を振るい続けた。マルーも懸命に応援する。
モンスターに鞭の当たる音が辺りに響き渡った。
しかし、やはり子供の力では致命傷を負わせることはできなかった。
逆に傷を負って狂暴になったモンスターに、バルトは段々と押され気味になった。
(くっそ〜、どうして倒れないんだ!)
集中力が切れ始めたバルトは、鞭を放った瞬間、足元の石にバランスを崩して前に
倒れ込んだ。
起き上がろうとしてモンスターの息を間近に感じ、それでも諦めずに立とうとした
バルトの瞳に黒い軌跡が映ったのはその時だった。
顔面に鞭を受けたモンスターは叫び声を上げてバルトから離れた。
驚いて振り返ったバルトは、いつの間にかシグルドがやって来たのを知った。
マルーを探して飛び出して行ったバルトを追いかけ、ようやく二人を探し出したのだ。
頼もしい長身の青年の姿にホッとして座り込みそうになったバルトに、シグルドは
檄を飛ばした。
「若、ぼうっとしてはいけません!まだ敵は倒れてませんよ!」
「分かってる!!」
シグルドに咄嗟に言い返して、バルトは気合いを入れ直してまたモンスターに向かう。
バルトとシグルドの前にモンスターが倒れるのは、時間の問題だった。


Back or Next




Novels
Home