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マルーが記憶を失ってから一週間が経った日、バルトはフェイやシグルド達と今後の打ち合わせを していたガンルームから出ようとして、ビリーに引き止められた。 「バルト、話があるんだ。」 「・・・今は忙しいんだ。」 「待てよ。」 出て行こうとするバルトの腕を、ビリーが掴んで止めた。 その様子をガンルームに集まっていた者達が、何事かと注目する。 「放せ。」 「嫌だ。話を聞くと言うまで放さない。」 いつになく強引な態度に出るビリーに、バルトはしょうがないというように軽く溜め息を吐いた。 「話ってなんだよ?」 「分かってるだろ?・・・マルーさんの事だよ。」 マルーと聞いた途端、バルトの表情が暗くなった。 「なんでマルーさんを無視するんだよ?シタン先生だって言ってただろ。 マルーさんの過去を知っている人が、話をしてあげるのが一番いいって。」 「お前には関係ねぇ。」 バルトが押し殺すような低い声を出した。 「関係なくはない!マルーさんが記憶を失ったのは、プリムをかばったせいだし。 記憶を取り戻すのに、君には絶対に協力してもらう。」 強い口調で言うビリーに、バルトが声を荒らげた。 「勝手な事を言うな!・・・思い出さねぇ方が幸せな事だってあるんだよ!!」 吐き捨てるように言うバルトに、ビリーが気圧されたように一歩後ろに引きかけた。 けれど、この一週間ずっと傍で見ていたマルーの姿を思い出す。 ビリーとマルーが一緒に出かけていたのは、ニサンやアヴェといったマルーに縁が深い場所だった。 たくさんの思い出が詰まっているはずの場所で、少しでも記憶が戻らないかと 一生懸命になっていたマルー。 ビリーはその場に踏み止まって、グッと顔を上げてバルトに向かった。 「確かにそうかもしれない。けれど、マルーさんは思い出したがってるんだ。 勝手にそう決めつけてしまうのは、君のエゴだよ!」 ビリーの言葉に射抜かれたように、バルトが一瞬動きを止めた。 「・・・お前に何が分かるんだよ!!」 辛うじてそれだけ言い捨てると、バルトはガンルームから飛び出していった。 「若!」 今まで口を挟めず二人の様子を見ていたシグルドが、バルトの後を追いかけようとした。 が、フェイの方が動くのが早かった。 「俺が行くよ。」 ドアの所で一度シグルドの方を振り返って、フェイはバルトに続いて消えた。 シグルドがそれでも迷う素振りを見せていると、やはり黙って傍観していたシタンが口を開いた。 「フェイに任せておけば大丈夫ですよ。きっと若君の力になってくれるはずです。 なんせ、この中で記憶喪失になった事があるのはフェイだけですから。」 それを聞いて、ようやくシグルドはこの場に止まる事に決めた。 それから、シグルドはバルトが去って行った時のまま動かないビリーに視線を向けた。 「ビリー・・・」 「分かってるよ、シグルド兄ちゃん。僕が言い過ぎたって事ぐらい。 でも、僕は言った事を後悔してないし、バルトにも謝るつもりはないから。」 シグルドと視線を合わせないようにして、ビリーもまたガンルームから出て行った。 ガンルームになんとも言えない沈黙が流れた。と、呑気な声がその沈黙を破った。 「いや〜、青春ですね。」 飄々とした様子で頷いている旧友に苦笑しながら、シグルドは己の主の事を案じていた。 「バルト!」 親友を探していたフェイは、甲板に求める姿を見つけた。 いつも自信に満ちているバルトの背中が、今日はやけに小さく見えて、呼びかけてはみたものの、 フェイはなかなか次の言葉が出てこなかった。 「・・・なぁ、フェイ。マルーがいくつの時から大教母をやってるか知ってるか?」 「えっ?」 突然の問いにフェイが戸惑っているうちに、バルトが先を続けた。 特に答えを求めていたのではなかったのだ。 「十二の時からだよ。それからずっと、重い責任を背負わされてんのに、愚痴一つ言わねぇで、 いつも明るく笑っていて・・・。」 手すりの向こうに広がる海を眺めながら、ポツリポツリとバルトが心を整理するように言葉を発していた。 「大教母になる前だって、四つの時にクーデターで両親を亡くして、 辛い砂漠での生活を送らなきゃいけなくなって。」 フェイは口を挟む事もなく、黙ってバルトの話を聞いていた。 「客観的に見ても、今まで辛い事ばっかりの人生だったと思うよ。」 「・・・けど、辛い事だけじゃなかっただろ?それはお前がよく知ってるんじゃないか?」 静かに訊ねるフェイの言葉に、バルトは力なく首を振った。 重い溜め息をついて、バルトは海を眺めていた視線を手元に落とした。 「なぁ、今、マルーは自分の事を『ボク』って言ってないだろ?」 「・・・あぁ、ずっと『わたし』って言ってるな。なんか違和感があるけどな。」 唐突な話の転換にフェイは混乱しそうになるが、それでもバルトに話を合わせた。 「それを聞いてから、ずっと思ってるんだ。 今のままが一番自然なマルーの姿なんじゃないかって。」 バルトの脳裏に、暗い牢獄の中で二人っきりで過ごした時間が蘇った。 あの幼かった日から、マルーは自分の事をずっと『ボク』と言っている。 その理由はバルトには分かり過ぎるくらいだった。 マルーをかばって鞭で打たれるバルトを見て、自分が男だったら、もっと強かったなら、という願いが 最も顕著に表れているのだ。 「迷ってるんだ。それだったら、無理に記憶を取り戻させなくてもいいんじゃないか? 今のままだったら、辛い思い出も忘れて、普通に十六の女の子として笑っていられる。」 バルトは壊しそうな勢いで手すりを強く握り締めた。 「例え、俺のエゴだって言われても、今までずっと傍でマルーを見てきたから、 そんな簡単に過去を話すなんて出来ねぇよ!!」 激した自分を落ち着けるようにバルトが大きく息を吐いていると、フェイがずっと疑問に思っていた事を 口に出した。 「バルトがどう思っているか分かったけど、どうしてマルーを無視してるんだ?」 「・・・俺は弱いから。こんな迷った状態のままマルーと向き合ってたら、絶対に記憶を取り戻せ、 俺の事を思い出せって言っちまうから。」 バルトの顔に苦い笑みが浮かぶ。まるで弱い自分をなじるかのように。 いつも自分に向けられていた暖かな瞳が、なんの感情も映さず、あかの他人を見るかのように 自分を見つめるのは、辛過ぎだった。 思わず、俺の事を思い出せよ!と叫びたくなる。実際、何度もそう言いかけた。 マルーに過去を話すかどうか、しっかり覚悟を決めないうちは、マルーと向き合って 冷静でいられる自信がなかった。だから、ずるずるとマルーを避け続けていた。 「そうだったのか・・・」 バルトがどう思ってるのか全て聞き出して、フェイは伝えたい事を頭の中で整理しながら ゆっくりと話し始めた。 「バルト、俺は後悔してないぜ。」 「はっ?」 訝しげな表情で、バルトがようやくフェイの方を振り返った。 「俺も記憶喪失だっただろ?それが治った今、やっぱり記憶を取り戻して良かったと思ってる。 例え、どんなに辛い思い出でもな。」 過去を思い出し、一回り大きくなったように思える親友が、バルトの前で穏やかに笑っていた。 「自分がどこの誰か分からないまま、憶えていない過去に怯えて生きるより、 自分の根本をちゃんと分かって生きてる方がずっといい。」 「・・・・・」 「まぁ、これは記憶喪失経験者の一つの意見ってとこだな。」 黙り込んでしまったバルトを気遣うように、フェイは明るく言った。 それから、フェイはあっと何か気が付いたような顔をした。 「あと、やっぱり今の状態は良くないと思うぞ。」 「・・・えっ?」 いきなり声のトーンを一つ落として真面目に言われた言葉に、バルトは俯いて考え込んでいた頭を ようやく上げた。 「マルーとちゃんと話してやれよ。自分の事が何も分からない状態で、そんな時に血縁だって 言われたら、無条件に親近感がわくし、頼りたくもなる。 なのに、そんな風に避けてたらマルーが可哀想だぞ。」 表情を厳しくしていたフェイが、ふっと顔をなごませた。 「ま、お前の気持ちも分かるけどな。」 労わるような声音に、バルトも強張っていた表情をどうにか和らげた。 「・・・サンキューな。」 めったな事では素直にお礼を言わないバルトから、すんなり感謝の言葉が出てきて、 フェイが目を丸くした。 そんな親友にバルトはバツが悪そうな顔をした。 「俺だって、礼くらい言えるぜ!」 居心地悪そうにしているバルトに、フェイがプッと吹き出した。 「あっ、なに笑ってんだよ、お前は!」 バルトが照れ隠しするようにフェイを押さえ込もうとして、しばらくの間、甲板上には 賑やかな声が響いていた。 フェイと別れてユグドラシルの廊下を歩いていたバルトは、前方から従妹の少女が歩いてくるのに 気が付いた。反射的に逃げようとして、先程のフェイの言葉が脳裏に蘇った。 ふぅっと大きく息を吐き出し、バルトはなるべく冷静になろうとした。 そんな事をしているうちに、マルーもバルトに気が付いて、今回こそは逃げられないようにとでも いうように小走りに近寄ってきた。 「バルトさん!」 他人行儀な呼び方に、思わずバルトは顔を顰めた。 それを見て、話をしようとしたマルーの口が閉じられてしまう。 二人の間に重い沈黙が流れた。 マルーと二人でいる時に沈黙が流れても、こんなに気まずい事はなかった。 そう苦く思いながら小柄な少女を見下ろしたバルトは、マルーの顔色が悪いのに気が付いた。 「・・・どっか具合でも悪いのか?」 「えっ?」 突然話しかけられて驚いているマルーの額に、バルトは手を当て、もう片方の手を自分の額に 当てて比べた。 「ちょっと熱っぽいな。寝た方がいい。」 バルトはマルーに有無を言わせず、彼に比べるとかなり小さい華奢な手を引いて、 マルーの部屋に向かった。 「体調が悪いなら、無理すんなよ。」 「でも、ちょっとだるいだけで、全然たいしたことじゃありませんし・・・」 「バカ!なんでお前はすぐそうやって無理するんだよ!」 振り向かずにどんどんと歩いていたバルトは、立ち止まってマルーの方を見た。 こうやって人に心配かけないように、何も言わずに一人で無理しているところは記憶をなくしても 全然変わっていない。 「ごめんなさい。」 怒っている表情のバルトの瞳に心配を見つけて、マルーは素直に謝った。 「・・・けど、どうして分かっちゃったんですか?」 いつもと同じように振舞って、今まで会った人には少しも気付かれなかったのに、 バルトにはすぐに見破られてしまったのが不思議だった。 「そんなの、お前の顔を見れば分かる。」 そう言うと、バルトはふっと視線をマルーから逸らし、再び歩き始めた。 前を歩くバルトの頬が、微かに赤く染まっているようだった。 それを見て、マルーは今まで無視されてたのは嫌われてしまった訳じゃないんだと確信できた。 その事に自分でも驚くほど安心していた。 自分の手をしっかりと包んでいる大きな手が、とても暖かかった。 |
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