夢は現の幻
〜夢の始まり・其の二〜



女中達が目の前に広げる色鮮やかな着物を、青子は目を丸くして眺める事しか出来なかった。
青子が出入りしている町の呉服屋では見かけた事もない程、光沢のある綺麗な生地で誂えた高級品の数々。
青子は次から次に運ばれてくる着物にどうすれば良いのか困って、傍に控えている女中頭と思われる女性に
話しかけた。
「あの、この着物はどうしたんですか?」
「若様から貴女様への賜り物でございます。お好きな物をお選び下さい。」
「えぇっ!」
驚きの声を上げた青子に、その女性は無作法だと言わんばかりの少々険しい視線を向けた。
この城の年若い主に朝早くから呼び出されて、目の前の少女に着物を与えるように命じられたのだ。
城の納戸の中に仕舞い込んであった着物を取り出し、すぐに着られる状態にするのに
てんやわんやの騒ぎだった為に、彼女の機嫌は良いとは言えなかった。
しかも、どこから連れて来たのか分からない娘に、気前良く全部あげてしまうというのだから、
主の気まぐれも困った物だ。
その彼が国を継いだ後の事を思うと、溜め息をつかずにいられない。
蛇澤に全てを牛耳られている今の状態とどちらがましだろうかと暗澹たる疑問を軽く首を振って追い払うと、
彼女は事務的に告げた。
「着替えてから若様の所にいらっしゃるようにとの仰せです。どちらの着物になさいますか?」
「そんな困ります。頂けません。」
「それは若様に直接仰って下さい。着替えて頂かないと私達が怒られてしまいます。」
固辞していた青子だったが、その言葉に折れた。
自分の所為で女中達が怒られるのを見過ごす訳にはいかない。
適当に着物を選ぶとすぐに着替えさせられ、一緒に軽い化粧を施される。
髪もいつもは簡単にまとめるだけだったが、綺麗に結い上げられ簪を飾り付けられた。
(憧れてたけど、お姫様も大変なんだなぁ。)
少々重くなった頭と動きにくい豪華な着物に、青子は場違いな感想を思い浮かべた。
それでも、年頃の少女らしく綺麗に着飾った自分の姿が気になって、青子は大きな鏡台を覗き込んだ。
「へぇ、結構似合ってるじゃん。」
そんな声と共に鏡の中の青子の後ろにひょいっと顔を出したのは、起きてから一度も姿を見ていなかった快斗。
「!?・・・きゃっ!!」
「おっと。」
突然の彼の登場に驚いた青子が、慌てて振り返ろうとして慣れぬ衣装の裾に足をとられてよろけると、
快斗が攫うように細い身体を支えた。
「ありがとう。・・・あの、放してくれない?」
素直に礼を言った後、青子はおずおずと切り出した。
未だに快斗の腕の中にいる体勢はまるで抱き締められているようで落ち着かない。
「やだ。お前、柔らかくて抱き心地良いし。」
そんな事を言いながら、快斗は青子に回した腕に更に力を込めたから、身体を固くした青子の思考は
止まってしまった。
僅かに耳にかかる息と全身を包むような温もりが、快斗に抱き締められている現実を伝える。
こんな近くに父親以外の男性がいた事なんて今までなかった。
いや、触れ合いという点では父親以上だ。
我に返った青子が快斗から逃れようと身を捩るが、快斗に難なく押さえ込まれてしまった。
『じっとしてろよ。例の演技だって。』
耳元に囁かれた声に、青子はようやく昨晩の約束を思い出した。
(え、演技ってこんな事しなくちゃいけないの?)
どうにか混乱状態からは抜け出せたけれど、深く考えもせずに快斗の申し出を受けてしまった事を
青子は後悔した。
こんな風に遠慮の欠片もなく触られるなんて思ってもみなかった。
心の準備が出来ていない青子には今の状態は刺激が強すぎる。
とにかく快斗の腕の中にいては上手く考えもまとまらないから、何とか抜け出そうともがいたけれど
快斗はびくともしない。
「ねぇ、放して!」
「んなに恥ずかしがる必要なんてねぇのに。
 ほら、大人しくしねぇとせっかく綺麗に結んだ帯がほどけちまうぞ。」
自分の言葉にぴたりと動きを止めた青子に小さく笑いながら、快斗は傍らに控えている女中達に
聞こえよがしに言う。
「まぁ、このまま脱がして昨夜の続きをやってもいいけどな。」
「なっ、な・・・!!」
青子は頬を真っ赤にして絶句してしまった。
そんな青子を腕の中に捕らえたままで快斗は一人余裕綽々の表情を浮かべて、楽しそうな色を
瞳に浮かべていた。
「どうする?」
「そ、そんなの嫌に決まってるでしょ!!」
「それは残念。」
言葉ほど残念そうな素振りは見せず、快斗はようやく青子を解放した。
「しょうがねぇから、脱がすのは夜のお楽しみに取っておくとするか。」
「お、お楽しみって何よ?!」
「言葉通りの意味だけど?」
楽しそうに青子の顔を覗き込んだ快斗は、肩をふるふると震わせている青子が爆発寸前なのを悟った。
演技の事なんて頭の中からすっかり吹き飛んでしまっているに違いない。
快斗は小さく苦笑すると、強引に華奢な手を取って歩き出した。
「ほら、城の中を案内してやるからこっち来いよ。庭とか見るの好きだろ?」
放してと手を振り解こうとして、青子は快斗の意味ありげな表情に気づいた。
それが分かったのか、快斗はちらりと女中達に視線を走らせた。
それで青子にも快斗がこの場を離れてゆっくりと話せる場所に連れて行こうとしているのが分かった。
「・・・うん。」
頷いた青子に満足そうに笑いながら、快斗は青子を連れ立って庭へと向かった。





庭の中に続く石畳を歩いて周りに人の気配が感じられなくなった頃、快斗はようやく手を放して
青子に向き直った。
「ここまで来れば大丈夫だ。」
青子も一応周りを確認してから、ずっと胸の中に止めていた文句を口にする。
「さっきのは一体何よ!!演技ってあんな事するの?!」
昨夜は約束を交わした後、心配しているだろう父親に文を書いてから簡単な打ち合わせをするはずだった。
けれど、薬が抜けてなかったのか、緊張を強いられた所為なのか、眠気を堪えてどうにか文を書き上げて
からの記憶がない。
朝起きると青子は布団の中に寝かされていて、快斗の姿はどこにもなかった。
一人きりでどうしようと思っていたら、朝食というには豪華すぎる膳を持った女中が現れたのだ。
促されるまま朝食を口にして、先ほど着替えた部屋に連れて行かれて着物の展覧会に付き合う事になった。
訳も分からず心細い思いをしていたところにあんな演技をされて、青子としては快斗に一言言わなければ
気がすまない。
「当然。青子に夢中になっている振りをするって言ったろ?」
けれど、青子の気持ちなんて意に介さないように、快斗はあっさりと頷いた。
「そうだけど・・・。」
当たり前だといった風情の快斗だけれど、青子としては何となく納得できない。
「分かりやすく態度で表した方が良いと思ったんだけど、驚かせちまってごめんな。」
そんな戸惑いを隠せない青子を見て、快斗が真面目な表情を浮かべて謝った。
「これからもあんな感じなの?」
「あぁ。・・・やっぱり辞めるか?」
「ううん。」
最後に躊躇ったように付け加えた快斗に、青子は反射的に首を振ってしまった。
快斗の話を聞いてしまったから、今更降りるなんていえない。
大きく息をついて青子は覚悟を決めた。
「ちゃんと打ち合わせしとけば良かったんだけどな。朝は時間が取れなくて悪かった。」
「そういえば、どこに行ってたの?」
「手配をする事が色々あったから。青子の衣装とかさ。」
その言葉で青子は失念していた事を思い出した。
「あっ!この着物くれるって女中さんが言ってたけど本当なの?」
「本当だ。青子にやるよ。」
あっさりと頷かれて青子は慌てて頭を振った。
「こんな豪華な着物なんてもらえない!そんな理由ないし!・・・って、どうしたの?」
勢い込んで言った青子は、くすくすと笑い声を零した快斗に訝しげな表情を浮かべた。
「そう言うと思った。」
昨夜、お礼をすると言った快斗に、青子は何も要らないと断ったのだ。
国の皆を幸せにしてくれるんでしょ?だったら、それで充分と。
何でも欲しい物を贈るという申し出には誰でも心動かされると思うのに、目の前の少女は本当に謙虚だ。
そんな青子を好ましく思いながら、快斗は上機嫌に口を開いた。
「その着物、ずっと仕舞ってあった物で、新しく買ったんじゃねぇから。
 年貢を無駄使いしてる訳じゃねぇんだし、貰っておけば?」
とりあえず快斗は青子が気にしているであろう事柄を解決すべく言ったけれど、青子は首を縦に振らなかった。
「それでも貰えないよ。すぐに着替えて返すから。」
「じゃあ、貸すって事で。」
「え?」
青子が頷かないのを見越していた快斗は、別の案を提示した。
「おめぇ、俺の女って事になってるからさ。
 一応、俺は一国の跡継ぎだし、おめぇにもそれなりの衣装を着てもらわねぇと示しがつかねぇんだよ。
 昨日着てた着物も良く似合ってたけどな。
 だから、それも残りの着物も貸すって事で良いだろ?」
「・・・分かった。」
確かに一国の主の妾がそこらにいる町娘と同等の格好をしている訳にはいかないだろう。
青子が渋々と頷くと、快斗は安堵したように表情を緩めた。
「じゃあ、本当に城の中を案内してやるよ。
 どこで誰が見てるか分からねぇから、あんまり気を抜かねぇように頼むな。」
「うん。」
快斗は青子に念を押すと、彼女を促して再び歩き出した。






















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