「きゃあっ!」
するりとお尻を撫でていった手に、青子は悲鳴を上げて犯人を振り返った。
悪びれる様子もなくにやりと笑っている快斗を睨みつけようとしたけれど、頭の片隅に約束を思い出して
どうにか怒りを抑える。
「んもうっ、若様の助平〜。」
ぎこちない笑顔を浮かべながら軽く快斗を叩く真似をするが、周囲の者達は不審に思わなかったようだった。
「はは、青子はいつまでたっても照れ屋だな。夜はもっと大胆な事してんのにさぁ。」
「なっ!」
快斗にしれっと嘘八百を並び立てられて、状況を忘れた青子が顔を真っ赤にして抗議しようとしたが、
その前に快斗が華奢な身体を抱き寄せた。
「真っ赤になっちゃって可愛いな〜。」
快斗は青子の頭を腕の中に抱え込んで言葉を封じて、わざと締まりのない表情で惚気る振りをする。
傍目には妾と戯れいてる女好きの若殿にしか見えないだろう。
またかといった顔で視線を逸らす側近を横目で確認してから、快斗は赤い顔をして睨んでいる青子の耳元に
唇を寄せた。
『んなに怒るなって。』
『快斗が悪いんでしょっ!』
誰にも聞こえないように密やかに言葉を交わす。
それでも、全てをおじゃんにしてしまいそうだった事を悪いと思っているのか、自分の腕の中から逃げ出そうと
しない青子に、快斗はくすりと小さな笑みを漏らした。
『おめぇには悪ぃと思ってるけど、全部演技だからさ。ちょっと我慢してくれよな。』
『・・・うん。』
分かりきった事だったけれど、改めて快斗の口から告げられると青子の心は痛んだ。
(この国の為だけなんだよね・・・。)
別に快斗は青子自身に興味がある訳じゃない。
全ては彼の目的の為で、青子としてもそれで良いと思っていたはずなのに。
演技を続ける快斗に合わせてじゃれ合う振りをしながら、青子は顔を見られないように快斗の胸に
顔を押し付けた。
少し驚いたようだったけれど、包み込むように抱き締めてくれた優しい腕に何故か涙が零れそうになった。


胸に溢れる切なさの理由はもう知っていた。
思いがけない真実を知ったあの晩から、青子の心に芽生えてしまったのだ     .






夢は現の幻
〜夢の始まり・其の一〜






「・・ちらでございます。」
「へぇ、本当に連れて来てくれたんだ。」
「それはもう若様のお望みですから。」
頭上で若い男と中年の男が会話をしている。
聞いた事のない声を訝しく思いながら、青子はゆっくりと目を開けた。
「おっ、気がついたか?」
(・・・?)
気安く声をかけてきた若い男に、一瞬過ぎった既視感は掴めない霧のように青子の中をすり抜けていった。
身体が重く、頭の奥から響くような鈍い痛みが消えない。
青子は身体を起こしながら、懸命にぼぉっと霞がかかったような頭を働かせた。
額を抑える手の動きに合わせて着物の袖が揺れた。
畳の上に直に寝かされていたせいか、身体の節々が痛む。
「ここは、どこ?」
かさつく唇から漏れた声は掠れていた。
青子は軽く咳払いをしながら辺りを見渡したが、行灯の明かりに照らされた部屋に見覚えはなかった。
分かるのは襖一枚とっても、青子にはとても買えない程高価そうだという事だけだ。
(なんでこんな所に?)
確か夕飯を作っていて豆腐を買い忘れた事に気がついて、財布と器を持って出掛けて・・・。
順を追って思い出して、青子の背中にひんやりとした緊張感が走った。
「おい、ちゃんと起きているか?」
「触らないでっ!!」
青子は鋭い声と共に、若い男が額へと伸ばしてきた手を強く払った。
全て思い出した。
買い物に出掛けて、青子は黒い着流しを着た浪人風の男達に囲まれたのだ。
声を上げようとして口を塞がれて、すぐに意識を失ってしまった事を考えると、薬でも使われたのかもしれない。
未だにはっきりとしない意識もそれを証明している。
助けられた気配もなく、見た事もない男が目の前にいる事実に、青子の心の中で大きく警鐘が鳴った。
顔を強張らせた青子とは反対に、若い男は飄々とした態度を崩さない。
「痛ぇな。」
少し赤くなった手をさする若い男に、傍に控えていたもう一人の男が大げさに声を上げた。
「若様!大丈夫でございますか?」
「あぁ、平気平気。」
何でもないとひらひらと手を振る若い男を他所に、中年の男は青子を睨みつけた。
「娘っ!快斗様に何という事をするのだ!」
「いい、蛇澤。」
青子に向かって振り上げようとした中年男、蛇澤の手を若い男が抑えた。
「ですが、若様。」
「いいって。このくらい元気な方が楽しめる。」
「若様がそう仰るなら・・・。」
目の前で繰り広げられる会話に内心首を傾げつつ、青子は蛇澤がぽろりと零した名前に気を取られていた。
先程過ぎった既視感の正体が分かる。
つい先日、参拝に出掛けた神社で、大勢の供の者に囲まれている彼の姿を偶然見かけていた。
「快斗って、まさか・・・嘘、だよね?」
信じられないといった様に呟く青子に、若い男、快斗は面白そうな表情を浮かべた。
「あぁ、俺の事知ってるのか?一応、この国の跡継ぎって奴なんだけど。」
「!?」
薄々予感していた事だったけれど、断言されて青子は驚きに目を見張った。
青子が暮らす黒羽国は穏やかな気候に恵まれている為、主に農業で成り立っている風光明媚な所だ。
名君と呼ばれた先代の下、国民は穏やかな暮らしを営んでいたが、十二年前に状況は一転した。
保養に出掛けていた先で火事にあい、先代は奥方と共に命を落としてしまったのだ。
辛うじて一人息子の快斗だけは生き残ったが、古くからのしきたりで国を継げるのは十八になってからだ。
そこで、快斗が十八になるまでは家老会議に全ての権限が委ねられる事になったが、これが国民にとって
悪夢の始まりだった。
私利私欲に走る者達に牛耳られた家老会議は国民に重税を課し、国民の生活はたちまちのうちに困窮した。
しかし、貧しい生活に苦しみながらも国民が希望を失わずにいた。
それは先代の一人息子が後を継げば、家老会議から実権を取り戻し、父親のように全ての民が
幸せになれるように国を治めてくれると期待していたからだ。
実際、青子自身もそう思っていたのだが、こんな犯罪まがいの手段で連れてこられて、快斗に対する不信感で
一杯になる。
「どうして連れて来たの?」
「まぁ、要は俺の女になれって事だな。」
「なっ!!」
あっさりと快斗が告げた言葉に、青子の頭の中が一瞬真っ白になった。
それから思考は怒りに支配される。
「馬鹿な事を言わないで!こんな無理矢理連れて来て俺の女になれですって?ふざけないでっ!!」
「ふざけてなんてねぇよ。それに、おめぇに選択権があると思うのか?」
青子の顔を間近に覗き込んだ黒い瞳は冷たい光を宿していた。
「おめぇは俺のもんになるしかねぇんだよ。」
「嫌っ!」
にやりと口元をゆがめた快斗の頬を引っ叩いて、青子はまだ動きの鈍い身体を懸命に動かして逃げようとした。
しかし、いくらも歩かないうちに、後ろから伸びてきた腕が帯を掴んだ。
力任せに引っ張られて、勢い余って回転した青子の身体がよろける。
畳に倒れこみそうになって青子が目を瞑った瞬間、力強い腕が青子を攫った。
「んっとにじゃじゃ馬だな。まだ薬が抜けきってねぇんだから大人しくしてろよ。」
後ろから左腕一本で青子の身体を支えて、快斗は解けて青子の身体に纏いついていた帯を取り去った。
「やぁ!」
快斗は暴れ出そうとした青子を難なく押さえ込んで、後ろに控えていた蛇澤に視線を向けた。
「で?他人に濡れ場を見られて喜ぶ趣味はねぇんだけど?」
「これは失礼致しました。隣室に用意してありますのでお使い下さい。」
「ふん、気が利くな。」
厭らしい笑みを浮かべて隣室を指し示す蛇澤からふいっと顔を逸らして、快斗はよっと華奢な身体を
肩に担ぎ上げた。
「やだ!降ろして!!」
青子が力いっぱい背中を叩いても快斗の歩みは揺ぎ無い。
隣室に入った快斗は後ろ手に襖を閉め、ひかれていた布団の上に青子を投げ出した。
青子はすぐに起き上がろうとしたが、伸し掛かってきた快斗に両手を取られて布団に押し付けられる。
「離してよ!」
「往生際悪ぃな。大人しくしろよ。気持ち良くしてやるからさ。」
「やっ!」
首筋に生暖かな唇が当てられて背中をぞくりとした感覚が走る。
何とか両手の自由を取り戻そうとするが、青子の細腕ではとても男の力には敵わない。
「やだってば!」
それでも懸命に首を振って抵抗する青子の耳元で楽しげな声が呟く。
「そうそう、頑張って声出せよ。」
快斗は青子の両手をまとめて左手で押さえて、着物の上から青子の胸をまさぐった。
「いやっ!・・・あっ・・」
「意外に敏感なのな。」
「やあっ!止めて!!」
快斗の唇が首筋にちくりとした痛みを残す。
青子の身体を滑っていった手は、今は唯一着物を繋ぎとめている腰帯にかかった。
絶望に包まれながら、青子は覚悟を決めた。
このまま陵辱されて慰み者にされるくらいなら・・・!
(お父さん、ごめんなさい。)
これまで慈しんでくれた父親に心の中で謝って、青子は自分の矜持にかけて最後に残された抵抗手段を
行使する事にした。
急に抵抗を止めた青子に、彼女の首元に顔を埋めていた快斗が不思議そうに顔を上げる。
顔を見たくもない男から思い切り顔を背けて、目を瞑った青子はそのまま舌を噛み切るところだった。
「おわっ、待て!早まるなって!!」
今まで優位を隠さなかった声が、慌てた響きを持って叫ばなければ。
急に身体を押さえつけていた重みが消える。
青子が恐る恐る目を開けると、身体を起こした快斗はどこかうろたえているようだった。
「悪ぃ!もう何にもしねぇから、早まった事はするな!」
快斗はその言葉を証明するように、両手を上げて青子から距離を取った。
青子には全く訳が分からなかったが、貞操の危機は去ったらしい。
それでも、安堵する事は出来ずに素早く起き上がる。
少し肌蹴てしまった衿元を押さえながら、自分が動いたらすぐに対応できるように警戒を露にしている青子に、
快斗はばつが悪そうに再度謝った。
「ごめん。ちょっと悪ふざけが過ぎた。・・・ちゃんと事に及ぶか、蛇澤の奴が様子を窺ってたからさ。」
「え?」
「今はもういねぇみたいだけど。」
隣の部屋の気配を探ってほっと息を漏らした快斗は、未だに顔を強張らせて身を固くしている青子の前に
右手を差し出した。
「何な・・」
青子の言葉が終わらないうちに、小さな破裂音と共に赤い花が現れた。
目の前で起こった出来事が信じられずに青子が目を丸くする。
「後できちんとお詫びするけど、とりあえずこれ。」
快斗は青子の手に花を握らせて、青子が安心できるようにと再び離れて座った。
視線を落としてしばらく手の中の花を見つめてから、沈黙が気まずくて青子は小さな声で呟いた。
「・・・ありがと。」
今度は礼を言われるなんて思っていなかった快斗が驚いて、青子の礼儀正しさにふっと笑った。
「礼なんて言うなよ。本当に悪かった。ごめんな。」
雪が溶けて間から芽吹く春の緑のように、ずっと冷たさを感じさせる笑みを湛えていたはずの快斗が、
今はそれが幻だったかのように優しげな眼差しを浮かべている。
青子は少し迷ってから長く息を吐き出して緊張を解いた。
それでも油断はしないように快斗の動きに注意しながら、青子は当然の疑問を口にした。
「一体どういう事なの?」
気持ちが落ち着いてくれば、浮かぶのは疑問だけだ。
何でこの場所に連れて来られたのかも、先程の嵐のような出来事の意味も全然分からない。
「悪ぃけどそれは話せねぇ。」
けれど、答えをくれるはずの快斗は、真摯な表情を浮かべてきっぱりと言い切った。
「何でよ?いきなりここに連れて来ておいて、勝手な事を言わないでよっ!」
「勝手なのは重々承知してるさ。」
ふと影を落とした快斗を見て、更に非難しようとしていた青子は口を噤んだ。
「とりあえずしばらくここに居てくれるか?時期を見て逃がしてやるから。」
「そんな事言われたって・・・。」
「大丈夫、おめぇの身は俺が必ず守るから。」
「でも、理由も教えてくれないなんて納得できないよ。何か訳があるんなら教えてよ?」
真っ直ぐに視線を向ける青子を見返して、快斗は少し躊躇う素振りを見せた。
そこに青子は畳み掛けた。
「もし、教えてくれないんだったら、さっきの蛇澤だっけ?あの人に何もなかったって話しちゃうから!」
「おめぇなぁ・・・。本当にじゃじゃ馬だな。大人しく人の言う事きけないのかよ?」
頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて降参といった風に呟いた快斗に、青子はぷぅっと頬を膨らませた。
「失礼ね。貴方が何も教えてくれないのが悪いんでしょ!」
「ったく、しょうがねぇな。・・・でも、話を聞きたいんだったら一つ条件がある。」
未だに迷いの滲む口調で切り出した快斗に、青子も背筋を伸ばす。
「何よ?」
「話したら協力して貰えるか?ちょうど協力者が欲しいと思ってたところなんだ。
 ただ、もし協力してくれるのならしばらく家には帰れねぇ事になる。」
真剣な眼差しで答えを促す快斗に、青子はよく考えながらゆっくりと口を開いた。
「話を聞いてから判断しちゃだめなの?」
「駄目だ。協力できねぇんなら聞かねぇ方が良い。ごたごたに巻き込まれるだけだ。」
快斗はそれだけ言って青子の考えがまとまるのを待つように口を閉じた。
そんな快斗を前に青子は一生懸命頭を回転させた。
判断できるような材料はほとんどないけれど、あの蛇澤という人物が鍵になっているのは分かる。
先程の快斗と蛇澤のやり取りを少し聞いただけだけれど、二人が本心を話していないような心地悪さがあった。
怯えていた青子の気のせいではないはずだ。
快斗に仕えている振りをしていたが、さっきの快斗の言葉によると青子達の様子を窺っていたようだし、
お互いに信頼関係にある訳ではないのだろう。
正直に言って、時折見せた鋭い視線は実は快斗よりも数段怖かった。
獲物を逃がさないようにずっと狙っているような視線・・・。
そこでふと疑問が浮かんだ。
「一つ聞いても良い?」
「何だ?」
「もしもの話よ?もし協力しなかった場合は逃がしてくれるって言ったけど、その後の身の安全は
 保証できるの?」
快斗は痛いところを突かれたといった顔をした。
「出来る限りの事はするけど、正直分からねぇ。
 攫われてきたって事は、おめぇの家とかばれちまってるんだろ?」
確認するような快斗の視線を受けて、青子は素直に頷いた。
「だったら、おめぇの家族も一緒にどこかに隠れてもらうとか、そういう事になるかもな。」
青子に答えながら、快斗は彼女の頭の回転の良さに正直感心していた。
あまり材料のない中で、きちんと状況把握が出来ている。
「そっか、じゃあ貴方に協力する。」
「・・・良いのか?」
店で買い物をしているかのようにあっさりと決めてしまった青子に、快斗が少々気の抜けた声で確認をとる。
「良いよ。どっちにしろ危険なら、お父さんを巻き込みたくないもん。」
どうやら攫われて来た少女は当たりだったらしい。
さっき感心した頭の良さに加えて、決断力も勇気も兼ね揃えている。
申し訳なく思いながらも、彼女が協力してくれるなら力になる事は確かだ。
「分かった。じゃあ、全部話す。」
「あ、ちょっと待って。」
ようやく快斗も青子を巻き込む事に覚悟を決めたところに、当の青子から止められた。
「何だよ?」
出鼻を挫かれて少々不機嫌そうに訊ねる快斗に、おずおずと青子は切り出した。
「あの、何だか重要そうな話だけど聞いちゃって大丈夫?
 会ったばかりの他人より、もっと信頼できる人に協力して貰った方が良いんじゃない?」
「・・・信頼できる奴がいれば良いんだけどな。」
苦笑しながら快斗がぼそりと零した言葉が聞き取れなくて、青子はきょとんとして首を傾げた。
その所為で幾らか幼く見える青子へと向かって、快斗が悪戯っぽく問いかける。
「まぁ、それを言うんだったらおめぇこそどうなんだ?
 いきなり攫ってきた犯人の親玉と思われる俺を信頼してもいい訳?」
「そ、それはそうだけど・・・。でも、貴方悪い人には見えないし。」
「へぇ?」
面白そうな表情を浮かべた快斗を見て、拗ねたように青子は唇を尖らせた。
「何よ〜、これでも人を見る目はあるって言われてるんだから!」
「それはどうも。お眼鏡にかなって光栄だ。」
「もうっ!」
青子はからかうように言った快斗からそっぽを向いた。
「それより早く話しなさいよ!」
「はいはい。」
軽く笑いを含んだ声は、次の瞬間には真剣なものへと変化している。
それが分かって青子も快斗へと視線を戻した。
「回りくどいのは好きじゃねぇから単刀直入に言うけど。
 今、この国を牛耳ってるのはさっきの蛇澤なんだよ。」
「え?」
ぽんと核になる答えだけ渡されて、青子が戸惑いの声を上げた。
「あの、ご家老達が集まって色々決めてるんじゃないの?」
「違う。家老会議なんて形式だけさ。
 家老会議の顔ぶれは蛇澤の息がかかった奴らばかりなんだよ。
 蛇澤が手を回して意に沿わない者は失脚させたんだ。」
そこまで聞いて青子にもある程度予想が出来た。
「じゃあ、蛇澤って人には貴方が後を継ぐのが不都合という訳ね?」
「そういう事。折角俺の両親を暗殺して手に入れた権力だって言うのに、
 みすみす取り返されたくはねぇんだろ。」
汚い物をはき捨てるように言った快斗は、目を見張った青子を見て失言に気づいた。
「え!ちょっと待って。暗殺って・・・?」
「あ、いや、何でもねぇよ。」
「嘘っ!全部話すって約束でしょ?話して。」
声を荒げる事なく静かに言う青子の視線に負けて、快斗は失言を悔やみながら渋々と口を開いた。
「火事で死んだって事になってるけど、あの火事は蛇澤が仕組んだものだったんだよ。
 親父の側近をやってた寺井ってのが教えてくれたんだ。」
実はあの十二年前の火事の時、快斗を連れて逃げたのがその寺井だった。
もう少し早く蛇澤の陰謀に気づいていたらご両親も助け出せたのにと、彼は悔し涙を浮かべながら
火事の真相を教えてくれた。
あの火事以降、寺井は快斗の保護者代わりとして、影になり日向になり支えてくれている。
「んな顔すんなよ。もう昔の話だし。
 まぁ、俺の悪運は昔から強かったって事だな。」
沈痛な面持ちになった青子の気分を軽くするように、快斗はにっと笑いかけた。
そんな快斗へと青子は僅かに涙の滲んだ瞳を向けた。
辛い思いをしたのにこうして笑える快斗の強さは感嘆できるけれど、同時に切なかった。
「馬鹿!無理に笑わないで良いよ。・・・辛かったでしょ?」
いたわるようにかけられた言葉に、快斗はわずかに目を伏せた。
あの火事から、唯一の後継者である快斗も命を狙われるようになった。
けれど、寺井の提案もあってうつけ者の振りを続けたおかげで、簡単に懐柔できると判断を下したのか、
蛇澤の魔の手が快斗に伸びる事はなくなった。
そうして芝居を続ける毎日の中、快斗は影では寺井から必要な帝王学を学び、蛇澤の圧政の中でも
黒羽家への忠義を忘れない人物を探していた。
快斗は辛酸を舐めながらも耐えて黒羽家の復興を待つ者達の希望の星だったから、揺るぎない態度で
弱みを見せる事を許されなかった。
いつも笑顔の快斗を頼もしいと思う者は多かったが、このように無理に笑うなと言ってくれた人物は
初めてだった。
心にいつもぴんと張っていた糸が切れそうで、快斗は慌てて気を引き締めて先を続けた。
「それよりさ、おめぇが攫われて来た理由だけど。」
「あ、どうしてなの?」
あからさまな話題転換だったけれど、青子は気にしていないようだった。
快斗は青子の興味を変えられた事に心の中でほっと息を漏らした。
「蛇澤の奴、今までは俺の存在は気にしてなかったんだけど、もうすぐ俺も十八になるからな。
 今度は家老会議の代わりに、俺の後ろで糸を引こうととしてんだよ。
 お飾りでも黒羽家の跡取りってのがいた方が国民も納得するだろうからな。
 それに、今まで馬鹿の振りをしてきたから、簡単に利用できると思ってんだろ。」 
「それと攫われて来た事とどう関係があるの?」
話の繋がりが見えなくて、青子が訝しげに眉を寄せた。
「だからさ、蛇澤は俺を懐柔しようとして手っ取り早く女をあてがおうとしたんだよ。
 女に溺れさせて言いなりにしようなんて、かなり浅はかな考えだけどな。
 まぁ、女は頂いちゃっても良かったんだけど、いつ寝首を掻こうとするか分からねぇ女と寝る趣味はねぇし。
 それで、姫なんて呼ばれてる女は気位高くて嫌だとか何とか言って、素直そうな町娘を連れて来いって
 命じたんだ。」
ほんの少しの嘘が紛れ込んでいる言葉だったけれど、青子は納得したらしかった。
「巻き込んじまっておめぇには悪ぃと思ってる。ごめんな。」
青子は頭を下げた快斗を見て静かに首を横に振った。
「もう謝らなくていいよ。それより協力って何をしたら良いの?」
「あぁ、要は俺の妾の振りをして欲しいんだよ。
 俺がおめぇを気に入って溺れている振りをするから、それに付き合って欲しいんだ。」
「え?そんなの無理だよ〜!」
「大丈夫!俺が助けるし。
 いつまでたっても女作らなかったら蛇澤に変に思われちまうから、協力してくれそうな奴を探してたんだ。
 あんまり信用のおけない女だったら頼みもしねぇけど、おめぇなら大丈夫と思う。
 俺が無事に後を継ぐまで協力してくれねぇか?」
「う〜〜〜、・・・分かったわよ。」
しばらく唸ってから青子は渋々と頷いた。
演技をするなんて自信はないけれど、快斗の話を聞いてしまったらとても断れない。
「おっしゃ、ありがとな!」
「あ、但し、一つ条件があるわ。」
「なに?」
「貴方の芝居に付き合う代わりに、貴方が後を継いだらこの国の皆を幸せにするって約束して。
 貴方のお父上が治めていた頃のように、皆に笑顔を戻してくれるって。」
青子の真剣な思いを、快斗は神妙な面持ちで受け止めた。
「あぁ、約束する。おめぇに皆が幸せに暮らす国を必ず見せてやるよ。」
「その約束、忘れないでね。」
念を押すように言った青子は、力強く頷く快斗を見てほっと笑顔を浮かべた。
「そうだ。おめぇ、名前は?」
「あ、言ってなかったっけ?中森青子っていうの。」
「じゃあ、青子。俺の事も快斗で良いから。」
「え!そんな呼び捨てになんて出来ないよ。」
仮にも一国の跡継ぎを単なる庶民の青子が呼び捨てになんてとても出来ない。
「遠慮するなよ。これから恋人の振りをするのにさ。」
「こ、恋人って・・・。」
ぱっと顔を赤らめて青子が可愛らしくて、朗らかに笑いながら快斗は続けた。
「これから宜しくな!」
「うん。」
満面の笑みを浮かべている快斗に妙に騒ぐ心を気にしながら、青子も小さく笑顔を返した。
心の奥底に恋の種が埋められた事を、この時の青子は気がついていなかった。

















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