捕われの姫君


「お、重い・・・。」
射的の店を出てから、時間が経つにつれ重さを増していくように思えるぬいぐるみに、
マルーはとうとう音を上げた。
重いと店の主人から聞いてはいたが、こんなに重いとは考えていなかった。
マルーは今いる広場を見渡して、空いているベンチに腰掛けた。
ふぅっと息を吐いて、凝った肩をトントンと叩く。
マルーはまるでおばあさんみたいだと思い、軽く苦笑いを浮かべた。
「キミが重すぎる所為だぞ〜!」
膝の上に抱えて向かい合わせになっているぬいぐるみに向かって、マルーはぼやいてみた。
ビー玉のようなつぶらな瞳がマルーを見返す。
自分とその後ろに広がる景色と青空を綺麗に映している瞳に、吸い込まれそうだった。
思わずジッと見入っていた自分に気付き、マルーは誰が見ている訳でもないのに
わざとらしく咳払いして、視線をぬいぐるみから外した。
「あ、そうだ。名前をつけてあげるね。何がいいかなぁ?」
再びぬいぐるみに目を向け、可愛らしい外観に合った名前を一生懸命考える。
『わたチュはチュチュって言いまチュ!!』
「えっ?何?」
突然、降ってわいたように高い声が聞こえて、マルーは慌てて辺りを見渡した。
広場で開かれている露店で値引き交渉してる客と店の主人、連れとはぐれてしまったのか
人に訊ね歩いている二人組、寄り添って語らっている恋人達     .
あちこちに視線を走らしてみるが、みんな自分の事に集中していて、
話しかけてくるような者も見当たらない。
「おっかしいなぁ。」
マルーは訝しげに首を傾げた。
さっきの声は一体なんだったんだろう?
いくら考えても謎は解けないので放っておく事にしたマルーは、ふとさっき聞こえた中にあった
フレーズを思い出した。
「チュチュか・・・。うん、案外良いかも。」
軽やかな響きが、このピンクのぬいぐるみにとても合っているような気がしてきた。
「キミ、チュチュに決定ね!」
マルーは名前が決まったばかりのぬいぐるみを抱き上げ、そう宣言した。
     マルーは全く気付いていなかった。二つの人影がそっと近寄ってきていた事に。
ぬいぐるみを名付けるのに夢中になっていて、すっかり気を抜いていた。
「マルグレーテ様?」
「はい?」
思わず降り返って返事をしてしまってから、マルーは自分の迂闊さに唇を噛んだ。
ブレイダブリクに自分がいる事を、知っている者がいるはずはないのに。
目の前にいるのは、先程見かけた二人組。
一般市民と服装は同じだが、目付きが全く違っていた。
捜し求めた獲物をようやく追い詰めた獣のような鋭い目をしている。
シャーカーンの私兵といったところだろう。
誰かを探しているようだったのは、自分の事だったのか。
マルーはそれに気付くと同時に、もう一つ悟ってしまった。
捕らえられた修道女達が生きているという噂は、やっぱりデマだったんだと。
騙された自分に自己嫌悪に陥りかけるが、今はそんな場合ではないと気を取り直す。
噂はデマだと分かった。それなら、どうにかしてこの窮地を脱出してニサンに戻らなければ。
マルーは急速に色々な考えを巡らした。
「やはりマルグレーテ様でしたか。そんな格好をされているので、最初は分かりませんでしたよ。」
黙って大人しくしているマルーに気を良くしたのか、余裕の笑みを浮かべながら
二人組の片割れがしゃべりだした。
饒舌なその口調は、慇懃無礼というのを絵に描いたようだった。
「マルグレーテ様、シャーカーン様がお呼びですので、一緒にいらして下さい。
 無駄な抵抗はお止め下さいね。手荒な真似はしたくありませんので。」
自分達の優位をにじませながら、二人組がマルーに向かって手を伸ばした。
(今だ!!)
肩に手がかかる瞬間を見計らって、マルーはさっと二人組の間を通り抜け、
入り組んだ街の路地に向かって駆け出した。
完全に虚を突かれた形になって、一瞬だけ二人組の動きが止まる。
それから、我に返って怒りで顔を歪ませた時には、マルーの姿はちょうど角を曲がって見えなくなった。
「くそっ、油断した!!お前は応援を呼んで来い!俺は小娘を追いかける!」
「分かった!」
二人組の片方がもう一人に指示を出し、二人は分かれて全力で走り出した。


自分の荒い呼吸と今にも破裂しそうな心臓の音だけが、頭の中に響いていた。
もうどの位走ったのか、マルーには全く見当がつかなかった。
追いかけてくるシャーカーンの私兵を惑わすように、ブレイダブリクの街の中を
メチャクチャに走り回っていた。
今、どこにいるかもよく分からなかったが、ただ逃げ切る事だけを考えていた。
けれど、追いかけてくる足音は時間が経つにつれ近くなっていく。
しかも、自分を捕らえようとする人数は段々と増えている。
マルーは真っ直ぐ前に向けていた視線を、腕の中のチュチュに落とした。
このチュチュが問題だった。
ぬいぐるみにしては異常な程重いチュチュは、只でさえ少ないマルーの体力を刻一刻と削っていた。
チュチュを抱えている腕は、その重さで痺れてきている。
「おい、いたぞ!!早く捕まえろ!!」
前方に新たに人影が現れ、マルーはハッとしたようにチュチュから視線を放し、
ちょうど右にあった路地に走り込んだ。
もう限界だった。
迷いに迷った末、マルーはチュチュを置いていく事を決心した。
路地を抜けた先に酒屋があった。
その前に雑然と置かれていた酒の樽の上に、マルーはチュチュをそっと置いた。
「ごめんね。もう連れて行けないや。」
一度だけチュチュの頭を撫でた。
誰か良い人に貰ってもらえるように祈りを込めて。
「ホント、ごめんね。」
グズグズしている暇はない。
マルーは思いを断ち切るように、まだ人影のない路地に視線を向けた。
さぁ、追いつかれる前に走り出そう。
マルーは大きく一歩を踏み出した。
その時、何かに呼ばれた。
     いや、本当は声も何もしなかったが、確かに呼ばれた感じがした。
後ろを、振り返る。
街の景色の中に埋もれない、明るいピンク色が一つ。
目が、合った。
ぬいぐるみ相手に変だけれど、そう思った。
視線が、絡む。
迷ったのは一瞬。次の瞬間には心を決めた。
「やっぱり一緒に行こう!!」
マルーは踵を返して酒屋の前に戻り、チュチュを再び抱えて走り出した。



                              .



「・・・結局、その後すぐ捕まっちゃったんだよね。」
マルーは過去に馳せていた意識を、目の前のチュチュに戻した。
チュチュがどことなく申し訳なさそうな顔をした気がした。
「あ、捕まっちゃったのはチュチュの所為じゃないからね。
 あれだけの人数に追いかけられたら、誰でも逃げられないよ。
 それに、今はやっぱりチュチュを連れてきて良かったって思ってるし。」
マルーは慰めるようにチュチュに話しかけた。
ぬいぐるみ相手に何やってるんだろうと頭のどこかで思うが、このチュチュはただのぬいぐるみじゃない
ような感じがしていた。
それに、他人じゃないように思える。
置いて行こうとして振り返った、あの時。
チュチュの瞳と目が合い、どこかで見た事があるような気がした。
後でよくよく考えて、バルトを見送る時の自分と同じだと思い当たった。
ユグドラシルで出発して行く年上の従兄を見送る時、いつもいつも思っていた。
ボクを置いて行かないで、一緒に連れて行ってと     .
でも、ニサンで大教母の務めを果たさなければいけないと重々承知していたし、
付いて行っても何もできずに足手まといになるだけだと分かっていた。
バルトの背中に向かって大声で叫びたい気持ちは、心の奥底に封印するしかなかった。
けれど、その気持ちの影が瞳には現れてしまっていたと思う。
あの時のチュチュの瞳が、これと同じに思えた。
言いたいけど言えない気持ちが、瞳一杯にあふれていると。
だから、置いて行くなんて出来なかったんだと分かった。
いつもバルトに置いて行かれる自分の姿を、いつの間にかダブらせていた。
それはきっと、射的屋の一番上にあったチュチュを見付けた時も同じ。
たくさんの者達に囲まれて一番上に祭り上げられ一人では何も出来ない自分と、
無意識のうちに重ねていなかったか?
だから、そんな場所からは連れ出したかったのだ。自由に、したかったのだ。
ただ可愛いから欲しかったという気持ちの裏に隠されていたモノに気付いた時、愕然とした。
自分の傲慢さが醜すぎて。
連れ出す?自由に?一体どこが?
シャーカーンに捕まって、こんな所に閉じ込められて。
結局、自分は何も出来ないんだ。
守られているのがイヤで、何かしたくて、ブレイダブリクまでやって来たというのに。
アヴェに捕らえられた修道女達が生きているという噂を聞いた時、真っ先に母親と祖母の事が浮かんだ。
もう生きていないなんて事は、よく分かっていた。
でも、実際に遺体を見てもないし、葬儀にも出てはいなかった。
その時には、あの暗い牢獄に従兄と共に捕われていたのだ。
だから、ひょっとしたらと希望を持ってしまった。
理性が必死にブレーキをかけようとするのに、感情は止まらなかった。
けれど、少なくともバルト達には迷惑をかけないように、一人でやろうと思った。
確かめたいと願うのは自分の我が侭だと分かっていたから。
少なくとも、その時はそう信じていた。
無駄に時間があるというのは考え物だと思う。
普段なら絶対やらない自分の心理分析なんてしてしまう。
マルーは苦い笑みを浮かべた。
一人で確かめようと思ったのは、きっとバルトに認めてもらいたかったから。
心の奥底で、そう思っていたのだ。
ニサンに来るたびに、人の上に立つ者として大きくなっている従兄。
その彼に従うのは、ファティマ王朝の復権を願う者達。
けれど、後継ぎのバルトが無能だったら、すぐに離れて行った事だろう。
バルトを本当の王だと認めたから、厳しい砂漠での生活にも逃げ出す事なく、
シャーカーン政権の転覆を虎視眈々と狙っている。
それに比べて、自分はどうだろう?
ニサンで大教母と呼ばれ、籠の中の鳥のように大事にされて、ぬくぬくと守られている。
でも、それはただそういう血筋に生まれたからだけで、自分の力で何かした訳ではない。
バルトとは違う。
本当はずっとニサンの言い伝えの通り、彼の片翼になりたいと思っていた。
けれど、自分一人で立つ事も出来ない自分には片翼になる資格なんてない。
そんな事は誰に言われなくても、痛いくらいよく分っていた。
それでも、と切に願う。
片翼になれなくても、若の背中を追いかける事だけは許して     .
追いかけ続けたら、いつか彼が疲れる時があったら、肩を支える事ぐらいは出来るかもしれない。
けれど、今の何も出来ない自分のままでは、彼を追いかける事すら出来ない。
出来る事といったら、目標に向かって着実に歩いていく彼の背中が、遠くなっていくのを見ているだけだ。
何かしなくてはと急き立てられるように焦っていた時、噂が耳に届いた。
自分だけで真偽を確かめる事が出来たら、彼を追いかける一歩を踏み出せると思った。
彼にこんな自分でも出来る事があるのだと認めてもらえるかもと思った。
なのに、結局は無様にシャーカーンに捕われ、自分が何もしなければかける事のなかった迷惑まで
かけてしまった。
「ホント、ボクってバカだ。大バカだよ・・・。」
従兄の足を引っ張ってばかりいる自分が心底情けなく、何も出来ない事が悔しい。
昔、読んでもらった絵本のお姫様と何が違うっていうんだろう?
自分で逃げるなんて大言を吐いていた幼い自分の無邪気さが、今はただ悲しいだけだ。
マルーはチュチュを脇に退けて、自分の膝を抱え込んだ。
これまでずっと堪えてきた涙が今にも零れ落ちそうで、顔をグッと膝に押し付けた。
マルーの心が挫けそうになったその時、暖かな感触がそっと頭に触れた。
(あっ、あの日のママの手みたいだ・・・。)
そう思った瞬間、記憶の扉が開かれた     .

『でもね、マルー。これだけは憶えておいてね。無茶をするだけが勇気じゃないのよ。』
『??どういうこと?』
『一人ではどうする事も出来ない時もあるわ。
 そんな時に、無理に逃げようとするのは決して勇気とは言えないのよ。』
『でも、そんなの情けないよ〜。』
『情けなくなんかないわ。動く事より、待つ事を決める方が勇気がいるのよ。』
『でもでもっ、何もしないでいるなんてつまんないよ!』
『笑っている事は出来るでしょ?』
『笑う?』
『そうよ。不安がいっぱいの中で、笑っているのはすごく大変なのよ。
笑顔でいるだけで、すごい事をしている事になるの。』

あの日、母はどういうつもりで言ったのだろう?
ただ、お転婆な娘が無茶をしないように釘を刺しただけなのか。
それとも、娘が何者かに捕らえられる日が来る事を、どこかで感じていたのか。
母がこの世にいない今、真相は分からないけどそれでも良かった。
母の言葉に勇気を貰ったのは確かなのだから。
逃げ出す事も出来ない自分だけど、まだ出来る事はある。
あの日の母の言葉を信じて、笑顔でいる努力をしよう。
マルーはギュッと瞼を閉じて涙を引っ込めると、ゆっくりと顔を上げた。
視界にピンクの手が入って、頭に触れた暖かな感触はマルーの方に傾いで来た
チュチュの手だという事に気が付いた。
手がちょうど頭に当たるなんて偶然があるのだろうか?
「チュチュって本当は・・・。」
マルーは言いかけて止めた。
チュチュの正体を突き止めるのは、今じゃなくてもいい。
それよりも、やらなければいけない事がある。


さぁ、頭を上げて、背筋をピンと伸ばして。
そして、笑っていよう。
若、心配しないでね?
ボクはちゃんと笑っているから、泣いてなんかいないから。
どんなに時間がかかっても、若が必ず助けに来てくれるって信じてるから平気だよ。
諦めたり、挫けたりなんて絶対しない。
ねぇ、若。
ボク、若が来てくれた時に言う言葉をもう決めてるんだ。
その時にはとっておきの笑顔と共に、若にこう言うね。

「若!絶対来てくれると思ってたよ!」


<了>


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パーフェクト・ワークスを読んだ時、マルーの項でビックリしました。

<マルーとチュチュの出会い>
ブレイダブリクの出店で、射的の景品になっていたチュチュを、マルーは並ならぬ執念でGET。
けれど、チュチュの重量(35kgってどうよ?)が災いして、逃げ遅れた。(一部省略)

ブレイダブリクに潜入してるという緊迫した場面で、なんで射的に夢中になってんの?
っていうか、そんな重い物を持ってたら、普通は置いて逃げるって!
そんな疑問を解決する為、真面目な理由をひねり出してみました(笑)
でも、思ったより暗くなった上、くどくなってしまって反省・・・。途中、だれてるし(^^;
やっぱり書く時は、一気に書かないとダメですね。



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