未来への誓い


アグネスは主のいない部屋で、窓際に置いてある花瓶の水を替えていた。
新鮮な水に替えた為か、花は元気を取り戻し綺麗に咲き誇っていた。
それを満足げに眺めながら、アグネスはこの部屋の主、マルーも今頃は明るい笑顔を
咲かせているだろうかと考えていた。
なんでもないように振舞っているが、時々重い溜め息をついているマルーに、
気分転換に外に行ってみてはどうかと提案したのはアグネスだった。
マルーが気乗りしない様子で出かけた時は、せっかくの提案も無駄になるかと思っていたが、
今は少しも心配していなかった。
マルーが落ち込んでいた原因がいきなりやって来て、彼女を追いかけて行ったのだから。
その時、遠くからパタパタと駆けて来る足音が聞こえた。
アグネスは足音の主が元気を取り戻した事が分かり、口元に優しい微笑を浮かべた。
しかし、マルーが元気良くドアを開けた時には、笑みを消して眉を寄せていた。
「マルー様、廊下は走らないで下さいといつも言ってるでしょう?
 もう子供ではないのですから、もう少し女性らしく振舞って下さいね。」
「はいはい、分かってます。アグネスはいつもそればっかり。耳にタコが出来ちゃうよ。」
肩を竦めるマルーにアグネスは更に小言を言おうとしたが、マルーと二人で顔を見合わせて
なぜか笑い出してしまった。
こんな会話を交わすのも、久し振りのことだったのだ。
マルーに明るい表情が戻って良かったと思いながら、アグネスは口を開いた。
「その様子ではバルト様にお会いできたようですね。」
「うん!いきなり現れるんだもん、ビックリしちゃった。」
満面の笑みで嬉しそうに話すマルーに、アグネスも口元を綻ばせた。
「それでね、アグネスにお願いが・・・」
「では、マルー様、帰ってこられたばかりですが、早速新しいお仕事です。」
マルーが切り出そうとしたら、先にアグネスに言われてしまった。
仕事と言われては、もう何も言えなくなってしまう。
マルーは渋々と頷いて、アグネスが仕事の内容を話すのを待った。
「ニサンを代表する大教母として、アヴェの大統領閣下がニサンに滞在なさる間、
 ご案内役をなさって下さい。」
「・・・・・・いいの?」
たっぷり三呼吸くらい置いてから、マルーが小さく訊ねた。
小さい頃からニサンを訪れているバルトに案内役が必要な訳はなく、実質はバルトがいる間、
一緒に休暇をとっていいという事なのだ。
「いいも何もお仕事ですから。」
「でも、最近すごく忙しかったじゃない。他のお仕事はしなくてもいいの?」
「他のお仕事はお休みなさって結構ですよ。この為に、今まで頑張ってこられたんですし。」
マルーはアグネスの言葉に喜ぼうとして、ふと引っ掛かりを覚えた。
「・・・ひょっとして、アグネスは若が来ること知ってたの?」
「一ヶ月ほど前、シグルド様からご連絡があったんです。
 一月程したら、バルト様がニサンにいらっしゃるはずだから、マルー様のスケジュールを
 空けておいて頂けますか、と。」
悪びれる様子もなくアグネスが答えると、マルーはぷぅっと頬を膨らませた。
「どうして教えてくれなかったの?」
ここ一ヶ月、落ち込んでいたのがバカみたいだ、とマルーは拗ねていた。
アグネスはそんなマルーに優しい眼差しを向けながら答えた。
「バルト様もお忙しい方ですから、いきなり来れなくなるという事もありえますでしょう?
 シグルド様のお話では、バルト様がいらっしゃる日付もはっきりしませんでしたし。
 そうなった時に、マルー様の悲しまれるお顔を見たくなかったんです。」
「アグネス・・・」
「それに、いきなりの方が喜びも倍増でしょう?」
茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせたアグネスに、マルーは抱きついた。
この人はいつも自分のことを一番に考えてくれる。
母がいなくて寂しい思いもしたが、この人がいたからそれも最小限ですんだと思う。
「ありがとう、アグネス。」
「どういたしまして。」
感謝の気持ちを込めて言う、妹にも、娘のようにも想ってきた少女を、アグネスも抱きしめ返した。


それからの一週間、バルトとマルーは周囲の協力もあって、楽しく休暇を過ごした、
と言いたいところだが、そうはいかなかった。
原因は、バルトの機嫌が下降線の一途を辿っていったからだった。
バルトはマルーに近付く男がいれば、睨む、喧嘩を吹っかけるような言動を取る、
マルーをその場から離れさせようとする、などといった行動を取っていた。
バルト自身は無自覚だったが、誰がどう見てもヤキモチだった。
ニサンの人達がバルトの様子に、これはアヴェ大統領とニサン大教母の婚約は近いかと噂しながら、
微笑ましく二人を見守っていたというのは、また別の話。
しかし、当のマルーはそんなことに気付かず、休暇が終わる前日にとうとう大喧嘩になった。
「若!なんて態度を取るのさ!今の方に失礼でしょ!!」
「お前が悪いんだろうが。」
バルトに自分の所為だと言われて、マルーは訝しげな表情をした。
「ボクのどこが悪いのさ?」
「あんな奴にへらへらしてただろ!大教母なんだから、もう少し毅然とした態度を取れよ。」
バルトの言い草に、マルーがムッと口を尖らせた。
「へらへらなんかしてないもん!!」
「いいや。お前はだれかれ構わず、へらへらしすぎだ!」
バルトからすると、話しかけてくる者達みんなに愛想良く振舞うマルーが、
危なっかしくてしょうがない。
「とにかくだなぁ、ああいう奴とはもう話すな!」
「ああいうヤツって何?信者の方とお話しない訳にはいかないもん!!」
「あいつが信者な訳ねぇだろ!このバカ!」
明らかにマルー目当てじゃねぇか、とバルトは心の中で呟いた。
しかし、マルーにその呟きが聞こえる訳はなく、マルーはバルトに対し完全に怒っていた。
「若の方こそバカだよ!なんでそんなこと言うの?」
「お前が鈍すぎるからだろ!」
心配するこっちの身にもなってみろ、と思いながらバルトがマルーの返答を待っていると、
マルーは下を向いて黙り込んでしまった。
「マルー?」
「・・・分かった。もういいよ。若なんて大っキライ!!」
顔を上げてそう言い放つと、マルーは駆けて行ってしまった。
残されたバルトは、しばらくの間呆然としていた。
本心から言われたのではないと思うが、バルトは思いの外ショックを受けている自分を感じていた。


それからは散々だった。
マルーはバルトと会っても、ツンとそっぽを向いてしまい口を利かない。
最初のうちはバルトも謝ろうとしたのだが、マルーの余りの態度に臍を曲げてしまった。
夕食の時も二人は顔を合わせたのだが、間に入って取り成そうとしたアグネスの努力も空しく、
一言も言葉を交わすことなかった。
それまでは食後にお茶を飲みながら色々と話をしていたのに、その日は二人とも早々に部屋に
引き上げてしまった。
宿泊用にと与えられた部屋で、バルトはベッドの上に寝転がって唸っていた。
(まったくマルーの奴、あんな態度とることねぇだろうが。)
しばらくはブツブツとマルーに対して文句を言っていたが、それが落ち着いてくるとバルトは
落ち込んでしまった。
(久し振りに会ったってのに、何やってんだろ。明日はもうアヴェに帰らなきゃならねぇってのに。)
久々にマルーを手加減なしに怒らせてしまった。
バルトはなんとかマルーと仲直りをしたいと思い、喧嘩の原因となったことを考え始めた。
発端はバルトの態度にマルーが怒ったことだった。
そう考えて、バルトは自分のこの一週間の行動を振り返ってみた。
マルーと一緒にいたのに、笑顔ではなく不機嫌な表情の自分の方が多かった気がする。
その不機嫌な自分は何をしていただろうか?
マルーが他の者、特に若い男と話すのを邪魔ばっかりしていた。
なぜだ?
それは、マルー自身が目当てだというのがバレバレの奴なのに、マルーはそんなことに気付かず、
にこやかに話していたからだ。
本当に?
・・・・・・・・・・いいや、違う。本当はマルーが他の男と話しているのがイヤだった。
その理由が嫉妬だという事にようやく気付いて、バルトは自分自身に呆れた溜め息をついてしまう。
(何ガキくせぇことやってんだ、俺は。)
理由も分からず感情のままに行動していた自分が、とても情けなく思えた。
バルトはこれはマルーにどんな態度を取られても、謝り倒すしかないと決心した。
それから、もう一つ決心した事があった。
二年ぶりに会ったマルーは、随分と綺麗になっていた。
それはもう見違えるくらいに。
メイソンがマルーについて話した時、大部分が誇張だろと決め付けていたことを密かに謝る。
このままマルーを放ってアヴェに帰ったらどうなるだろう?
艶やかに咲いた花にミツバチが群がるように、今でもマルーは男達の注目を集めていた。
大教母という地位が地位だけに、マルーに直接近付こうとする奴は少ないが、
そういう奴が全くいないという訳ではないのだ。
現に、その為に今バルトはマルーと喧嘩中なのだから。
このままマルーを放っていくなんて、とても出来なかった。
ボヤボヤしていたら、誰かにマルーを攫われてしまいそうな気がする。
だったら、答えは一つ。
(よっしゃ、全ては明日だ!!)
一大決心を胸に、バルトは眠りについたのだった。


翌朝、バルトは早くに目を覚まし、大聖堂に向かった。
バルトが来ている間も、マルーは礼拝は欠かさなかった。
ちょうど早朝の礼拝が終わったこの時間は、マルーが一人で大聖堂に残っているはずだった。
あの人類の存亡を賭けた戦いにも、片翼の天使像は奇跡的にほぼ無傷で残り、
大聖堂の方も何事もなかったかのように修復されていた。
音もなくドアを開けて、その間に身を滑り込ませたバルトは、目の前に広がった光景に
思わず息を呑んだ。
ステンドグラスからの朝日を一身に浴びて、マルーが祈りを捧げていた。
その姿はいつも自分とじゃれているやんちゃな従妹のものではなく、まさしく聖母のようで、
バルトは彼女に声をかけれずにいた。
そのうち、祈りが終わったのか、マルーが立ちあがって振り向いた。
「あ、若!」
マルーが浮かべた笑顔はいつも自分に向けられているものなのに、なぜか眩しく見えてバルトは
目を細めた。それから、少しの勇気を出してマルーに向かって歩を進めた。
「あ、あのさ・・・」
「若、昨日はごめんね。」
なんと言って切り出そうかとバルトが迷っているうちに、マルーが謝ってきた。
この一晩の間に、マルーも色々と考えたのだろう。
昨日みたいなツンケンとした態度は消えていて、バルトはホッと息を漏らした。
「いや、俺の方こそ悪かった。ごめんな。」
バルトにしてはすんなりと謝罪の言葉が出てきて、マルーは一瞬目を丸くした。
「ううん、ボクの方が悪いんだ。八つ当たりだったから。」
マルーが少し苦い笑みを浮かべた。
どういうことかとバルトは口に出さず先を促した。
「久し振りに会えたのに、若ったらずっと機嫌が悪かったでしょ?
 だから、ボクといてもつまんないのかな?退屈なのかな?とか色々考えちゃって。
 八つ当たりしてたんだ。ごめんね、若がキライなんて嘘だよ。」
昨日の言葉をマルーがきっぱり否定したことに、バルトは驚くほど安心していた。
それから、マルーが自分の態度を不安に思っていたことを知って反省する。
そうだ、まずこのことからマルーに話さなくては。
「やっぱり、俺の方が悪ぃよ。
 お前が他の奴と話してるのがイヤだってだけで、あんな態度を取ってたんだから。」
「・・・どういうこと?」
バルトの言っていることが分かりそうで分からない。
そんなもどかしさの中で、マルーはバルトに尋ねた。なんだか心臓がドキドキする。
「だから、お前が俺以外の男と話してるのが気に入らなかったんだ!
 ガキみてぇだけど、お前と話してる奴に嫉妬してたんだよ!!」
「!?」
きっぱりはっきり断言して、バルトは顔を真っ赤にしてあらぬ方を向いた。
(えっと、それってつまり・・・。若がボクのことを、す、好きってこと?)
思いついた考えに、マルーが一瞬のうちにゆでダコ状態になる。
しばらくの間、二人とも視線を宙にさ迷わせ、沈黙が訪れた。
それから、バルトが決心したようにマルーに向き直った。
「マルー、まだまだアヴェは復興の途中だ。あとどれ位かかるか、正直俺にも分からねぇ。」
「う、うん。」
突然、真面目に話し出したバルトに、マルーはちょっと驚きつつ頷いた。
そんなマルーを見つめてから、バルトはいきなりマルーを抱き寄せた。
ここから先は面と向かってはとても言えない。
マルーの華奢な体を強く抱きしめながら、耳元にそっと囁く。
「でも、一段落したら指輪を持って迎えに来るから、それまで待っててくれるか?」
照れながらもはっきりとした声がマルーの耳に届いた。
最初は信じられなかった。でも、じわじわと幸福な気持ちが浸透していく。
浮かんできた涙を拭いながら、マルーはバルトから体を離して、照れまくっているバルトの顔を
見上げた。
返事を言おうとして、マルーは軽く息を吸い込んだ。
「やだよ。」
それを聞いた瞬間、バルトの時間が止まった。
マルーが頬を赤く染めた顔で自分を見上げた時、彼女の返事を確信していた。
しかし、それとはまったく逆の答えに、バルトは混乱して固まった。
そんなバルトを見て、マルーが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「ボクは待ってるだけのおとぎ話のお姫様じゃないからね!
 ニサンのことを全部片付けて、自分でアヴェに行くよ!」
満面の笑みでマルーはバルトに左手を差し出した。
「ここに指輪を嵌めてもらいに!!」
バルトはマルーの言葉をたっぷり十秒はかかって理解した。
ようやく、さっき止まった時間が動き出す。
最初、脅かすなと怒ろうとしたバルトだったが、マルーらしい返答に笑いがこみ上げて来た。
バルトは笑いながら差し出された左手を掴んだ。
「絶対、俺の方が先にここに指輪を嵌めに来るからな!」
そう、これには男のプライドがかかっている。
女の方から出向いてくるのを待つなんて、カッコ悪すぎる。
「ううん、ボクの方が絶対先だからね!」
でも、手強いお姫様は譲ることを全く考えておらず、これは本気で頑張らなくてはと
バルトは密かに決心した。
「じゃあ、競争だな。」
「うん!負けないからね!」
笑みを含んだ視線を交わした後、マルーがバルトに抱きついて来た。
「ねぇ、若。そしたら、ずっと若の側にいれるよね?」
マルーは最終決戦の前のあの時に、冗談で済ましてしまった言葉を形を変えて口にした。
それが分かって、バルトもあの時答えられなかった答えを言う。
「決まってんだろ!・・・一生、俺の側にいろよ!」
『一生』という言葉がくすぐったかった。
嬉しいはずなのに、どうして泣きたくなってしまうのだろう?
「約束だよ!」
「あぁ、約束だ!」
マルーの瞳から零れた一筋の涙を、バルトがそっと唇ですくった。
それから、ようやく思いを交わした片翼の天使達は、その由来となっている像の下で、
一足早く誓いの口付けを交わしたのだった。


<了>


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「ラブラブな若マル」というリクエストだったので、頑張りました(笑)
最初、マルーがなかなか出て来ないし、ラブラブにならないと焦ってたんですが、
最後の方はもう書いててむずがゆくなってきました(苦笑)
私的に保護者三人組を書けて嬉しかったです♪
あと、「放っておけなくなったバルト」も書けて楽しかったです(笑)



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