未来への誓い


世界の滅亡をかけた戦いから二年が過ぎようとしていた。
力を合わせて戦った若者達は、今は世界各地に散らばって復興の為に心血を注いでいた。
当然のように、バルトはアヴェに、マルーはニサンに分かれ、力を尽くしていた。
それぞれの国の要人である彼らの忙しさは半端でなく、この二年は会うことも出来なかった。
それでも、お互いの様子を手紙や噂で知りながら、遠い空の下頑張っているだろう従兄妹の笑顔を
思い浮かべ、忙しい毎日に奮闘していた。
しばらくは、そのまま時間が過ぎるのかと思われていた。
メイソンがニサンを訪問するまでは。


「いや〜、まったく見違えてしまいました。エルヴィラ様にますます似てこられて。」
砂漠からの風が吹き抜けるファティマ城の執務室に、妙に興奮したメイソンの声が響いていた。
先日、メイソンは大使としてニサンを訪れ、今はその報告をしていた。
そのついでに話がマルーのことに及び、メイソンは機関銃のように話し出したのだ。
艶やかな花が咲いたようにお綺麗になられたとか、落ち着きを増し大人っぽくなられたとか。
次から次に出てくる誉め言葉に適当に相槌を打ちながら、ほとんどを右から左に聞き流していた
バルトは、メイソンがふと漏らした言葉に真剣にならざるをえなくなった。
「爺、今なんてった?」
「ですから、気の早い方などもう求婚にいらっしゃってるみたいで・・・。」
「求婚だとーーー!?」
メイソンに最後まで言わせず、バルトは素っ頓狂な大声を上げた。
「なんだってマルーに求婚なんかするんだ。まだまだ子供だろうが。」
「おや、そうでしょうか?」
それまで止まることのないメイソンの言葉に苦笑を浮かべながらも、
黙って話を聞いていたシグルドが口を挟んだ。
「マルー様ももう十八歳になられる。ご結婚してもおかしくないご年齢です。
 それにこんなことは言いたくないのですが、政治的に見てマルー様ほど妻に欲しい人物は
 いないでしょう。」
「どういうことだよ?」
淡々と言うシグルドを睨みつけるようにしてバルトが尋ねた。
「教会がなき今、ニサンは多くの信者を集めており、マルー様はそれを統べる大教母でいらっしゃる。
 また、復興が最も進んでおり、世界中に影響力を持つアヴェのトップである若のご従妹でもある。
 これほど妻にして得な人物は他にはいないでしょう。」
「それに、あの素晴らしいご容姿で、性格もよろしいですから、引く手あまたなのですよ。」
シグルドに続きメイソンにも畳み掛けるように言われて、バルトがぐっと詰まる。
冷静に分析してみせるシグルドと、実際にニサンに行って様子を見て来たメイソンの言葉は、
非常に説得力があった。
マルーが見も知らぬ男と手と手を取り合い、背中に片翼を羽ばたかせながら、
どこか遠くへ飛び立っていく・・・。バルトの脳裏にそんなイメージが浮かんだ。
それを振り払うように、バルトはいきなり立ちあがりドアの方に向かった。
「若、どちらへ?」
「街を視察してくるっ!!」
冷静に尋ねる自分の補佐役にバルトはイラつきながら投げ返すように答え、
壊しそうな勢いでドアを閉めて出ていった。
「・・・少々いじめすぎましたかな。」
まだ震えているように見えるドアを眺めながら、メイソンが呟いた。
「いや、若はこういう方面に関しては奥手というか、鈍くていらっしゃるから、
 この位言わないと駄目でしょう。」
「それもそうですな。」
二人で顔を見合わせて、クスリと笑いを漏らす。その後、シグルドが表情を改めた。
「ところで、先程の話ですが・・・」
シグルドに皆まで言わせず、老齢の紳士は安心させるように頷いた。
「あぁ、大丈夫ですよ。アグネス殿が頑張ってらっしゃいますから。
マルー様はそんな話がある事もご存じありませんよ。」
若と同じく、とメイソンは続けた。
マルーに結婚の話が来ているのと同じように、バルトにも同様な話が舞い込んできていた。
アヴェとニサンには『両国の王と大教母は結婚するもの』という考えが浸透しているが、
両国の国民以外はそんなことは知らない。
バルトは現在、王ではなく大統領となっていたが、事実上は王と同じでアヴェの実権を握っており、
バルトと結婚したい、娘と結婚させたいという申し出は多かった。
もちろん、シグルドとメイソンの二人が全てシャットアウトしていたが。
バルトとマルーは幼い頃に両親を亡くし、大人達の思惑で振りまわされることが多かった。
他の者よりも早く大人になることを強要され、心を押し殺さなければならないこともあったというのに、
彼らは文句も言わずいつも笑顔でいた。
その笑顔に自分達は救われていたのだと、彼らを保護してきた者達は強く思う。
そんな彼らだからこそ、せめて結婚ぐらいは彼らの愛する人とさせてやりたい。
それはマルーの保護者役のシスターアグネスも同じ気持ちで。
人の上に立つ人物に仕える身としては失格かもしれないが、その為だったらなんでもしようと、
幼い頃から彼らを見守り続けてきた三人は密かに誓い合っていた。
「それなら安心ですね。」
ニサンにいる力強い味方を思い浮かべながら、シグルドはホッと息を漏らし、
執務室に置いてある自分の机からおもむろに手帳を取り出した。
「どうされました?」
「スケジュールの調整をしようと思いまして。若はあのご性格ですから、
 きっとすぐにでもニサンに行きたいとおっしゃるでしょうから。」
自分の主君の行動を完全に読み切っているシグルドに、ふむふむとメイソンが頷いた。
しばらく手帳とにらめっこしてから、シグルドは気の毒そうな表情で顔を上げた。
それを見て、メイソンがシグルドの手元を覗き込んだ。
「これは・・・。」
「しょうがないですね。若には少しの間我慢して頂きましょう。」


ようやく賑やかさを取り戻して来たブレイダブリクの街を、バルトはものすごい勢いで歩いていた。
普段は陽気な街の様子を眺めるのを楽しみにしているバルトだったが、
今はそんなことは全然目に入っていなかった。
視察のしの字もないバルトの頭の中は、さっきメイソンから聞いた事で一杯だった。
(マルーに求婚だと。冗談じゃねぇ!)
ものすごい形相で歩いて行くバルトに、いつもは気軽に声をかける街の住人も今日は
声をかけられないでいた。それどころか、触らぬ神に祟りなしとばかりに遠巻きにしている。
そんな周囲の様子に気付かず、心の中で顔も知らない相手に向かって気の済むまで
文句をつけた後、バルトはある事に気付いていきなり足を止めた。
それは、マルーの気持ちはどうだろう?という事。
一番肝心な事を忘れていたといきなり深刻な表情になり、バルトは真剣に考え始めた。
(マルーがその気だったら、俺はどうこう言えねぇよな。)
殊勝なことを考えてみる。が、なんだか面白くない。
それどころか、考えれば考えるほどむかついてくる。
バルトの百面相を面白そうに眺めるギャラリーをよそに、バルトは忙しく頭を回転させていた。
その途中で、ふとマルーの姿を思い浮かべた。
その姿は決戦が終わった後、ニサンに送り届けて別れた時のもの。
それより後の彼女の姿は、自分の中には存在しない。
(そういや、マルーにも随分と会ってねぇな・・・。)
忙し過ぎてこんな風にマルーのことを考える時間はなかった。
メイソンの言葉通りなら、元気にしていることは間違いないだろう。
しかし、急に自分の目で確かめたくなった。
戦いの間、いつも側にあった明るく優しい笑顔が懐かしかった。
(よしっ、決めた!)
思い立ったら即行動のバルトは、百八十度回転して城に向かって走り出した。
バルトが去った後の街では、今日の彼の様子をあれこれと噂する声が響いていた。


出ていった時と同じくらい騒々しくドアを開けて帰って来たバルトに、
まだ執務室に残って仕事をしていたシグルドとメイソンの二人は顔をしかめた。
しかし、彼らに小言を言う隙を与えずに、バルトは勢い込んで口を開いた。
「シグっ、休暇くれ!」
バルトの余りの勢いに驚いた後、シグルドは自分の予想通りのバルトの要求に
おかしそうな表情をした。
後ろではメイソンも口元を手で覆って笑みを隠していた。
「なんだよ?」
年長者二人の様子に怪訝そうにバルトが尋ねた。
「いえ、なんでもありません。」
「・・・まぁ、いいや。それより休暇だ!今まで頑張ってきたんだから、少しくらいいいだろ?」
笑いを噛み殺して答えるシグルドに納得行かない顔をしつつも、
バルトは自分の要求を通すことを選んだ。
「えぇ、いいですよ。」
「へ?」
予想に反してすんなり許可が出て、バルトは驚いた。
城に帰ってくるまでの間に、シグルドとのバトルを想定し、
言い負かす為の言葉を色々と考えてきたというのに。
しかし、素直に喜んで早速準備をしようと自分の部屋に戻りかけたバルトに、
無慈悲な言葉が掛けられたのは次の瞬間だった。
「ただし、一ヶ月後の話ですが。」
バルトは思わず呆然とし、それからシグルドに猛然とくってかかった。
「なんでだよ?そんなに待ってらんねぇよ!」
「もうすぐキスレブとの定期会談があるのをすっかり忘れてますね。
 その準備がまだ終わってないでしょう?誰かさんがすぐ仕事をサボりたがるものですから。」
シグルドは涼しい顔でバルトの耳に痛いことをさらっと言う。
「準備が終わる頃にはもう会談が始まりますし、その後はシェバトとも会談が予定されています。
 もちろん、休暇されている間に溜まる仕事も片付けていってもらわないと困りますし。
 若の頑張り次第では、ひょっとしたら休暇は一ヶ月以上先になるかもしれませんね。」
バルトは恨みがましい視線をシグルドに向けたが。
「まさか仕事を放り出して、頑張っていられるマルー様に会いにはいけませんよね。
 それではあまりにも情けなさ過ぎますし。」
しっかり止めを刺されて、素直に頷くしかなくなったのだった。
それから、では早速と渡された書類の山に取りかかろうとして、
バルトはあれ?といった顔でシグルドの方を向いた。
「なぁ、シグ。どうしてマルーに会いに行くって分かったんだよ?」
「若の副官を何年やってると思ってるんですか?そんなことくらい分かります。
 大体、若は判りやす過ぎるご性格ですから。」
シグルドにしれっとした顔で言われ返す言葉もなく、バルトは降参といった風情で
黙って書類に向かったのだった。


ニサンの街並みを見下ろせる丘の頂上に向かって、マルーは重い足取りで歩いていた。
緑の匂いを含んだ風が、二年前よりも長く伸びた髪をなびかせ吹き抜けていく。
普段はその感覚だけで自然と笑みが零れてくるのに、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。
いや、最近は、と言った方が正しいだろう。
その原因は、遠く砂漠の国にいる彼女の従兄、バルトにある。
到着した丘の上に座りながら、マルーは登ってくる間ずっと息を止めていたかのように
盛大な溜め息をついた。
メイソンが久し振りに訊ねて来たのは、一ヶ月ほど前のことだった。
元々お喋り好きなこの紳士は、復興著しいアヴェのこと、そして、その中心となっている
バルトのことを、マルーと顔を会わせる度に喋り倒して帰っていった。
それからだった。気分が沈むようになったのは。
この二年は自分の時間を取ることが出来ずにいた。
大事な故郷が緑を取り戻していくことは、自分にとって一番嬉しいことだから、
そのことに不満がある訳ではなかった。
ただ、あの戦いで得た仲間と自由に会えないのが辛かった。・・・バルトに会えないのが特に。
戦いが終わったら、もっと自由に会えると思っていた。
なのに、実際はバルトがシャーカーンを倒す為に砂漠で海賊行為をしていた頃よりも、
全然会えなくて。
平和になったことは嬉しいことなのに、そのことだけは喜べなかった。
それでも、必死に会いたい気持ちを押し込めていたのに、バルトのことを細かく喋るメイソンの話は
その気持ちを刺激してしまった。
今まで考えないようにしてきた分、会いたいと思ってしまったら無性に恋しくなってしまって。
筋違いだとは分かっているが、ついメイソンに文句を言いたくなってしまう。
それに、もう一つマルーを落ち込ませている原因があった。
ここ二ヶ月ほど、バルトから手紙が来ていなかった。
どんなに短くても、一ヶ月に一、二回は欠かさずに手紙が来ていたのに、
こんなに間が空くのは初めてのことだった。
いっそのこと、会いに行ってしまおうかとも考えたが、最近なぜか急に仕事が増えて、
ゆっくり休憩を取ることも出来ないくらいだったのでとても無理だった。
また一つ大きな溜め息をついて、マルーは空を見上げた。
優しく温かく照らす太陽に、透き通るような空の蒼さに、少しだけ励まされた気がした。
「若のバカ!手紙くらい書いてよね。」
そう呟くことで重苦しい気持ちを吐き出して、マルーが立ち上がろうとした時。
「だぁれがバカだって?」
ずっと聞きたかった声が耳に届いた。
一瞬、耳を疑った。それから、声のした方を急いで振り向いて、今度は目を疑った。
憶えている姿より大人びた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼が立っていた。
「若!!」
気が付いたら大声で叫んで、マルーはバルトに抱きついていた。
「本物だよね?夢でも、幻でもないよね?」
大きな背中に回した腕から伝わる感触が、これは現実だとはっきり伝えてくるのに、
どうしても信じられない。
「俺が幻だったら、お前こけてるぞ。」
笑いを含んだ声が頭の上から聞こえて、マルーは顔を上げた。
すぐ側にお日様を思い出させる懐かしい笑顔があった。
マルーはそれを見て、ようやくバルトがここにいると実感した。
思わず涙が滲んできたが、涙を見せたくはなかったし、何よりそれでは彼の顔が見えなくなるから、
乱暴に顔を拭って代わりに笑顔を浮かべる。
「来るなら来るって言ってくれれば良かったのに。」
「お前をビックリさせようと思ったんだ。作戦成功ってとこだな。」
本当は、どうにか仕事を終わらせてすぐに飛び出してきたから、連絡する暇がなかっただけなのだが、
バルトはそんなことはおくびにも出さなかった。
「じゃあ、手紙くれなかったのはそのせい?」
「いや、それはマジで仕事が忙しかったんだ。」
仕事と聞いて、マルーの顔が一瞬暗くなった。
バルトが忙しいのは分かっていたはずだったのに。
手紙をくれないと怒っていた自分の我が侭を見せつけられた気がして、
マルーは落ち込みそうになったが頑張って表情を変えないようにした。
「そっか、大変だったんだね。ニサンに来たのもお仕事?」
ニサンでもゆっくり出来ないとバルトが口にする前にと、マルーは先回りして尋ねた。
自分から聞いておけば、がっかりするのも少なくてすむだろう・・・。
「はずれ。休暇だよ。やっとのことで、シグから許可をもぎ取ったんだ。」
笑顔なのに妙にマルーの顔が寂しげに見えて、バルトはわざと軽い口調を使った。
それが功を奏したのか、パッとマルーの顔が明るくなった。
「ホント!?どのくらいニサンにいられるの?」
「一週間だな。まだまだ、ゆっくりと遊んでらんねぇから。」
アヴェに帰ったら、また書類と格闘する日が続くのだろう。
思わず溜め息をつきそうになって、バルトはふと重要なことに気が付いた。
「そうだ。お前はどうなんだよ?忙しいのか?」
せっかくの休暇だというのに、マルーが仕事だったらここに来た意味がない。
今まで思いつかなかった問題点に、バルトは恐る恐るマルーの様子を窺った。
「う〜ん、忙しい、かも。」
歯切れの悪いマルーに、やっぱり連絡ぐらいすれば良かったとバルトは後悔した。
「アグネスに相談してみるね。」
「頑張れよ。」
思わずバルトはマルーを応援した。その言葉に、マルーも決意を込めて頷く。
それから、とりあえずアグネスに会う為に、二人は会えなかった間のことを色々と話しながら、
丘を下っていったのだった。


Next




Just Count
Home