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まどろみの中、届く声は? 胸を締め付けられるような不安が少女を苛んでいた。 マリアの小さな背中を見送って、ほっと息を吐く。 「…危なかった」 手すりを掴んでる手の甲にぽたっと温かい水滴が小さく円を描いた。 ボクは弱い 頬を伝う温かいものを拭うことも出来ずに、ただ風に嬲らせた。 再び海の彼方に視線を戻す。 いた。 探していた小さな背中を見つけて、バルトは呼吸を整えた。 「……っ」 声を掛けようとして止まる。 波のさざめく音に紛れて、零れるのは小さな嗚咽。 …泣いてる…の、か? 幼い頃ならともかく、大人になってからマルーが泣くのを見ていない。 泣く寸前なら何度かあった。 アヴェからユグドラに帰ってきて…思わず怒鳴りつけてしまったとき ニサン大聖堂で天使像を前にシスターたちの詠唱を聞いたとき 寸前で無理に押し止められる涙を、いつも歯痒く思っていた。 強い…と言えば強いのだろうか。 自分にも無理をして強いように振舞っていた時期がある。 幼い頃の過酷な経験から生まれた無力感が、今も彼女を縛り付けていることは 容易く想像できた。 だからって、俺に何が…できる 下手に動けば逆効果にしかならない。 今も… 声を掛けることも出来ずに、隠れてただ背中を見守るだけ。 時計は12時をまわっている。冷え込む夜の海の風。 鼻がムズムズしてくる。 「へぇっくしょい!!」 冷たい風に鼻をくすぐられて、手で抑えたが堪えることができなかった。 「……何やってるの?」 目の前に白い膝こぞうがある。しゃがんでじっとこちらを見ているのはマルーだ。 問われて気づいた。 自分の体勢が梯子の途中で止まって、頭だけ覗かせていることに。 「えっと…」 梯子にかけていた両足を外す。 「わ、若?」 落ちてしまわぬよう、マルーは慌てて引っ張り上げようと手を伸ばした。 だが、バルトはそのままの姿勢で懸垂を始める。 「…ここで、ちょっと身体を鍛えてたんだよ!」 マルーは一瞬何を言われたかわからないという表情になり、次いで破顔した。 その顔に涙の後は無い。 「そっか…数えてあげよっか?」 バルトは大量の冷や汗がじわっとあふれ出るのを感じた。 「いや、いらねぇ!!…もう充分やったからな!」 力いっぱい断って、梯子に足をかけると船上に駆け昇る。 「お前こそ、何してんだよ…こんな時間に?」 気まずさを取り払うように問い掛けると、マルーはすっとバルトから視線を外し海の彼方を 見つめた。 その先には… 「ボクを呼ぶ声がしたんだ…」 「声……誰だ?」 訝しむようなバルトの様子にマルーは軽く肩を竦める。 「さぁ…アグネスだったかもしれないし、ニサンの人たちだったかもしれないし… ママの声だったかもしれない…わからないけど、ボクを必死に呼ぶ声。」 「………。」 死者の声は届くのだろうか? 自分にはわからない。 「…マリアだったのかな」 「ああ?ちび助がどうして出てくるんだ」 すれ違った幼い少女を思い出す。 「若…女の子にそんな言い方しちゃダメだよ?」 バルトの名を出した時のマリアの釈然としない表情を思い出して、マルーは笑った。 「はぁ?…女の子って、まだ子供だぜ?」 「ずっと大人の中で育って来たんだろうね…若より、しっかりしてるよ」 「…どういう意味だよ。」 少しムッとしてマルーを軽く睨むが全く効果は無いようだった。 マルーはふと表情を改めた。 「……若はどうしてここに来たの?」 「……俺は」 本当のことを言うつもりは無い。 う〜と唸って、バルトはポリポリと頭を掻いた。 かといって、嘘はつけない。 「明日早朝にはニサンに着く。」 「うん。」 ニサンと聞いてマルーの瞳が翳る。 「その…なんだ……お前の…力、必要かも知れねぇから…」 「!!……ホント、に?」 みるみるうちに明るくなっていく表情を複雑な思いで見つめた。 「ああ、寝坊したら置いて行くからな。…はやく寝ろよ」 「うん、ありがとう!!」 手すりを掴んでいた手を離し勢い良く駆け出そうとして、 「できれば連れて行きたくねぇけど」 思わず漏れ出た吐息混じりの小さな呟きを聞き咎め、マルーは立ち止まった。 「ボクが、足手まとい…だから?」 真剣な瞳が、すぐ間近から自分を見上げている。 やべぇ… 今にも泣き出しそうな顔に手を伸ばし頬に触れると、離れては見えなかった涙の後が 指先に感じられた。 不安な顔も悲しい顔もして欲しくない。 嬉しいときの涙以外は見たくない。 …そんなのただのワガママだけど、な。 滑らかな肌の感触。無意識のうちに指に力が篭る。 ふに。 「お前が寝坊したら、作戦が失敗するから。」 頬を掴んで引っ張ると、マルーの顔が横に伸びた。 バルトの言葉に、顔が伸びたまま抗議する。 「ひっほぉーい!!ホクはやほきひゃんはから、ひょんにゃほほひにゃいもん!!」 (注:ひっどぉーい!!ボク早起きなんだから、そんなことしないもん!) すっかりからかいに入ってるバルトの手を振り払ってマルーはむくれた。 「さぁて、どうかな?」 「…そこまで言うなら一緒に寝ようか?ボク絶対若より先に起きるから」 マルーの提案に、バルトは真っ赤になって慌てふためく。 「ば、バカ…そんなことできるわけねぇだろ!!」 「冗談だよ、冗談。…あ!ホントは明日ボクより早く起きる自信ないんでしょ?」 「あのな…」 必要以上に疲れて吐いた溜息を勘違いして、マルーはさらに提案した。 「心配なら、起こしてあげるね明日!」 にこっと笑う従姉妹に気が緩んで、それもいいかなどと思ってしまう。 「いいぜ。マルーの声ならどこにいても聞こえる…し、」 あ。 バルトの言葉にマルーの瞳が大きく見開かれた。 こんな時間に起き出してきた理由。 偶然などではない。 気づかれた。 長くも短くも無い沈黙の後。 「…ありがとう。若」 咳払いをして何とか誤魔化そうと試みてみる。 「俺の用事は!!…俺は、お前が寝坊しないように釘さしに来ただけだからな」 「それだけ?」 「そうだよ!!」 他に何があるってんだ? 胸を張って答えると、マルーは首を傾げた。 「懸垂は?」 「………!!!」 再び沈黙 …ではなく、単に言葉に詰まった状態。 引きつった笑いが浮かぶ。 「きゅ、…急に眠くなってきちまったから、俺寝るわ!んじゃな!!」 逃げるように走り去るぎこちない背中に「おやすみ〜」と声がかかった。 マルーの笑い声が聞こえる。 こちらを安心させるためのものではなくなった…だけで、よしとしよう。 そう自分に言い聞かせて脱兎の如く部屋へと帰った。 バルトの去った後、 「ボクも、みんなの声を受け止められるように成長しなきゃ…ね。」 聴く者はいない呟き。 ボクは弱い。 何の力も無いけれど、 決して諦めない。自分から投げ出したりはしない。 全てを包み込むような深い闇に満ちた夜の海。 冷たいけれど、湿り気を含んだ風は優しかった。 そしていつか 声だけじゃなく、ボク自身があの人に届きますように…。 海の彼方に祈りを捧げて、マルーはゆっくりと梯子を降りた。 <了> |
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とらうおさんのHPで900Hitsを取って頂きました。 とらうおさんがマルーとマリアが語っているお話を書かれていて、 そのサイド・ストーリーみたいな感じで、この若マルのお話を書いて貰いました。 マルーに対するバルトの想いがよく感じられて素敵でした!! ごまかし方もバルトらしくて笑えました(笑) マルーの想いも切なくて(><)最後の祈りが叶う日が早く来ればいいな〜と 思いました。 とらうおさん、どうもありがとうございました!! |
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