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「ふわぁー。疲れた。」 そう言ってマルーは思いっきりのびをした。 そのまま窓の外を覗くと、雲ひとつない青空が広がっていた。 窓から入ってくる、緑の匂いに包まれた心地よい風が、太陽の下へ出てくるよう 誘惑してくる。 「まったく、こんな日に仕事しなくちゃいけないなんて。」 現在、ユグドラシルはニサンに停泊していた。 軽い修理とメンテナンスも兼ねて、1週間ほど滞在することになったのだ。 整備にはたいして時間もかからず、事実上は久々の休暇で、浮れている者も 少なくなかった。 が、大教母であるマルーはそうもいかなかった。 ニサンを離れている間に、書類が山のようにたまってしまっていたのだ。 そんなわけで、外に遊びに行きたい気持ちを押さえつけて、部屋に閉じこもって書類と 格闘することになったのである。 「まだまだ残ってるなぁ。いつになったら終わるんだろう?」 うんざりしながら、マルーは次の書類に手を伸ばした。 トントン その時、ドアをノックする音がした。 「だれ?」 「俺だよ。だいぶ疲れてるみたいだな。」 そう言いながら入ってきたのは、マルーにとって一番大切な人。 「若!」 マルーはさっきまでの憂鬱を忘れて、うれしそうな声をあげた。 「どうかしたの?」 「アグネスがさ、そろそろマルーの集中力が切れる頃だから、お茶に呼んで来てくれって。」 「アグネスにはお見通しだなぁ。」 マルーは苦笑を浮かべた。 「ま、休憩も必要だろ。アグネスがシフォンニサーナを焼いてくれたみたいだぞ。」 「本当?アグネスのシフォンニサーナ食べるの久しぶりだな。」 マルーはお茶に行こうと、すぐ机の上を片付け始めた。 「あっ、そうだ。若、その本棚の一番上にある、緑色の背表紙の本取ってくれる?」 「これか?」 「そう、それ。これ書くのに必要だったんだけど、ボクじゃ届かなくてさ。」 バルトはマルーに言われた本を取って渡した。 それから、その本の周りにあった本も取り出して、机の上に積み上げ始めた。 思ってもみないバルトの行動に、マルーは目を丸くして尋ねた。 「ちょっと、若。何やってるの?」 「いや、奥に何かあるみたいなんだ。」 「えっ、なんなのかな?」 「ひょっとして、アグネスのへそくりだったりしてな。」 「もう、若ったら。」 そんな話をしているうちに、バルトが本棚から問題の物を取り出した。 それは何かの箱のようだった。 「なんか、ますますそれっぽいよな。」 「開けちゃっていいのかな?」 そうは言うものの、マルーも興味津々の顔をしていた。 「いいに決まってるさ。それにこのまま返したら、気になって眠れなくなっちまう。」 小さい頃はいつも二人で結託して、様々な悪戯をしたものだった。 その時のワクワクとした気持ちが蘇ってきていた。 戦いの最中にあって、こんな気持ちになることはほとんど皆無だった。 二人とも久々の感覚に自然と笑みを浮かべていた。 悪戯っ子のような輝きを浮かべた瞳を見交わして、お互いの気持ちを確認する。 「よし、開けるぞ。」 バルトは勢いよくふたを開けた。 中には、数冊のノートと手紙の束が入っていた。 「なんだ、これ?」 バルトが素っ頓狂な声を出した。 一目でへそくりではないとわかる代物に、バルトはあからさまに肩を落とした。 「予想が外れて残念だったね、若。」 「他には何もないのかよ。ちぇっ。」 「それより、これ誰のかな?」 がっかりしているバルトの様子に微笑みを浮かべながら、マルーがノートを手に取り 開いてみた。 そこには、見なれない筆跡。 読み進むうちに、マルーの顔に驚きが広がった。 その様子を見て、バルトが声をかけた。 「そのノート、一体なんだったんだよ?」 マルーは返事をしない。 バルトはマルーの肩に手をかけ揺すってみた。 「おい、マルー?どうかしたのか?」 「あ、あのね。」 ようやくマルーが返事をした。 「これ、ママの日記なんだ!!」 「えっ。」 一瞬、バルトはマルーの言ったことが理解できなかった。 返ってきた答えが、あまりにも意外だったもので。 ゆっくりとマルーの言葉が浸透していく。叔母上の日記だと? 「本当かよ!」 バルトはマルーの持つノートを覗きこんだ。 それは、日記兼マルーの育児記録というものだった。 マルーが母親と過ごしたわずかな間の記録。 バルトもマルーも覚えていない時間がその中に広がっていた。 「あっ、若ここ見て。これ、ボク達が初めて会った時のだ。」 バルトはマルーが指差すところを見た。 『X月X日 今日はバルト君がシグ君と一緒に遊びにきた。 二人ともマルーに会うのは初めて。 バルト君はマルーが生まれる前から、お兄ちゃんになるんだと張り切っていたから、 かなりうれしい様子。 シグ君は、恐る恐るマルーを抱っこしていた。でも、バルト君で慣れていたのかな? 落としそうな様子もなく、安心して見ていられた。 マルーは、二人がかなり気に入ったみたい。ずっとご機嫌だった。 特に、バルト君が気に入ったみたいで、バルト君の髪をつかんで放さなくて大変だった。 金髪が珍しかったのかしら? 二人がいる間は、子守りに困ることはなさそうだわ。』 「へぇ、こんなんだったかな。俺も二歳の時だからよく覚えてねえな。」 他にも何かないかと、バルトはページをめくっていった。 読んでいくと、日常の些細な事やその日のマルーの様子などが、詳しく書かれていた。 バルトの手がある箇所で止まった。 「これは、シグがいなくなった時のだ。」 『X月X日 今日、兄から連絡があった。ノルンに帰省中に、シグ君がいなくなったらしい。 こちらにシグ君から何か連絡がないか。あったらすぐ知らせてくれとの事。 使者の話によると、兄はかなり心配して憔悴しているらしい。 シグ君とは、ここのところ会っていない。 事故にでもあったのだろうか? それとも、兄の子だと知った誰かが誘拐でもしたのだろうか? どちらにしろ、早く見つかってほしい。 シグ君が無事であるようにと、祈ることしかできないのが悔しくてならない。』 「やっぱりママも知ってたんだね。シグが若のお兄さんだって事。」 「ああ、そうだな。」 バルトは、シグルドがいなくなった時の事を、ぼんやりと思い出していた。 (あの時は確か大泣きしたよな。なぐさめてくれた父上もつらそうだった。) しんみりしそうな気持ちを抑える為に、バルトはわざと明るい声を出した。 「それにしてもさ、叔母上って案外親バカだったんだな。こことか見てみろよ。」 『X月X日 今日初めてマルーが歩いた。 他の子より早いと思うんだけど。どうなのかしら? ヨチヨチ歩く姿が、なんとも言えないほどかわいい。 明日は、歩く姿を写真に撮っておくことにしよう。』 「本当だね。ママって親バカだったんだなぁ。」 自分の小さい時のことが詳しく書かれているのが、マルーには照れくさくもあり うれしくもあった。 読んでいくうちに、仕事が忙しくてマルーにあまりかまってあげられない事を、 母が悩んだりしていたこともわかった。 マルーは暖かい気持ちが胸の中に広がっていくのを感じた。 幸せだった。母の気持ちがよく分かって。 ざっと一通りノートを見てから、今度は手紙の方に手を伸ばした。 手紙は、司教として各地を訪れるため、ニサンを離れることが多かった、 マルーの父フランシス大候から母エルヴィラへ宛てた物だった。 フランシス大候は手紙の中で、自分が留守にしている間のマルーやエルヴィラの様子を 気にかけていた。 愛情あふれる文面に、バルトが見入っていた時だった。 ポタリ バルトが見ている文面に、水滴が落ちてきた。 顔を上げて隣を見ると、マルーが涙を流していた。 「な、なに泣いてんだよ?」 バルトは慌てて言った。 この従妹の涙がバルトは苦手だった。どうしていいかわからなくなってしまうから。 小さい時から、成長した今でも、それは変わらなかった。 もっとも、今ではマルーはめったに泣かなくなっていたけど。 久しぶりに見るマルーの涙に、バルトは情けないほど慌てていた。 「一体、どうしたんだよ?」 「わかんない。ボク、うれしいのに。 パパとママがこんなにボクの事を思ってくれていたことが分かって。」 そう言って、マルーは手で目元をぬぐった。 バルトが心配するから、早く泣き止まなくてはと思う。 それでも、涙は止まらなかった。 バルトはそんなマルーの姿を黙って見つめていた。 無理に涙を止めようとするマルーの姿が、見ていてつらかった。 (しょうがねえな。) バルトは意を決すると、マルーのほうへ手を伸ばし、そっと抱きしめた。 「思いっきり泣けよ。我慢しなくていいからさ。」 そう言われて、マルーは堪えていたものが一気に溢れ出すのを感じた。 バルトの胸に顔を押し付けるようにして、マルーは泣き続けた。 マルーが両親の事で、こんなに泣いたことは今までなかった。 もちろん、小さな頃は両親がいなくて寂しくて泣いたこともある。 でも、それは両親の死を理解してではなかった。 成長してからもそのことについて、泣いたことはなかった。 両親の事をほとんど覚えていなかったから、あまり悲しくはなかったのだ。 それが、日記と手紙を読んで変わった。 両親が実際の人物としてマルーの中に現れたのだ。 両親の自分に対する気持ちを知って、そんなふうに自分を愛してくれた両親に もう二度と会えないことが、むしょうに悲しかった。両親が恋しかった。 泣きながら、多分この時初めて、マルーは両親の死を実感した。 マルーはしばらくの間泣いていた。 その間中、バルトは黙ってマルーの頭をなでていた。 やがて、バルトの腕の中で、マルーが涙声で言った。 「若、ボク悔しいよ。シャーカーンに捕まってた時のことはよく覚えてるのに、 パパとママの事はほとんど覚えてないんだもん。」 バルトには、マルーの気持ちがよくわかった。 ただ、二年先に生まれた分、マルーよりも覚えていることが少し多いだけであって、 あとはマルーと変わりないから。 だから、マルーの気持ちを軽くしたくて、言葉を紡ぐ。 「過去のことはどうにもできないけどさ、これからたくさん楽しい思い出を作ろうぜ。」 マルーの耳に、とてもやさしいバルトの声が届いた。 「叔父上や叔母上の代りにはなれないけど、俺はずっとマルーの側にいるから。」 「えっ?」 思いがけないバルトの言葉に、マルーは顔を上げた。 涙にぬれた瞳が、同じ蒼い瞳を見つめる。 「俺の片翼はマルーしかいないんだから、一生側にいるに決まってるだろ。 ・・・その、マルーがいやじゃなければ。」 そう繰り返して、真っ赤になってしまったバルトは横を向いた。 「いやなわけないよ!ボクもずっと若と一緒にいたい。」 バルトの言葉がうれしくて、またボロボロと泣いてしまいそうだから、 マルーはかわりに飛びっきりの笑顔をつくって言った。 「そっか。良かった。」 バルトはマルーの言葉にまだ赤い顔をしながら向き直り、ほっとした顔つきになった。 それからマルーの笑顔の中に涙を見つけて、手を伸ばしそっとぬぐってやった。 そのまま、二人は見つめあった。 窓から入ってきた風が、二人の間を通っていく。 しばらく静かな時間が流れたあと、ゆっくりと顔が近づいていった。 そして、まさに唇と唇が重なろうとした瞬間。 トントン ガチャリ 「何やってんだ?お茶が冷めちゃう・・だろ・・・」 返事をする間もなく、フェイが部屋へ入ってきた。 「あ、えっと、その、失礼しました!!」 フェイは、赤い顔をして固まってしまったバルトとマルーを見て、二人よりも さらに真っ赤になり、ぎこちない動きでUターンしてドアを閉めた。 (そういう事するんなら、鍵ぐらいかけとけよ。) 心の中でフェイはぼやくが、一応ここへきた目的は果たさなくてはと、ドア越しに声をかける。 「あ、あのさ、アグネスさんが早くこないとケーキ全部食べちゃうぞって。 じゃ、伝えたからな。」 そう言って、フェイはダッシュでその場から立ち去った。 部屋の中の二人はというと、しばらく固まっていたが、そのうちどちらからともなく 笑い出した。 「さっきのフェイの顔見たか?」 「うん、おかしかったぁ。真っ赤になっちゃってて。」 赤い顔をしていた自分を棚に上げて、マルーが言う。 「でも、後で絶対からかわれるな。」 バルトはそうぼやいた。 内心、いいところで邪魔をした責任はとってもらうぞと誓いながら。 そんなことは露知らず、マルーはバルトに話し掛けた。 「ねえ、若。これ、シグ達にも見せてあげようよ。」 「そうだな。きっと喜ぶよな。」 「じゃあ、早く行こうか。ケーキ食べそびれちゃうよ。」 日記と手紙を持って、二人はドアの方へ向かった。 自然に手と手がつながれる。 二人は頬を赤く染めながら、そのまま歩いていった。 隣を歩く人の、このぬくもりさえ側にあれば、幸せな未来を築けると確信しながら。 日記と手紙を発見した一ヶ月後。 ユグドラシルの艦長室で、バルトとフェイは雑談していた。 話の途中で、フェイは何気なくバルトに尋ねた。 「その後、マルーとはどうなってるんだよ?」 「別に、なんともねえよ。」 「なんともないって、キスぐらいしたんだろう?」 「なんともねえって言ってんだろ!!」 バルトは大声をあげた。 「本当かよ?あの時、かなりいい感じだったじゃないか。」 「邪魔をした張本人に言われたくない!」 きっぱりはっきりバルトに言われて、フェイは少々意地悪な気持ちになる。 「邪魔されたくないなら、鍵ぐらいかけとけばいいじゃないか。」 「あんな展開になるとは思ってなかったんだから、しょうがないだろう!」 あの後ニサンを出発してから、お互い何かと忙しく、一緒にゆっくりと過ごす事は できなかった。 (こいつがあの時来なけりゃ良かったんだ。ちくしょー。) 不機嫌大爆発のバルトである。 フェイはそんなバルトを見て、八つ当たりされてはたまらないと、ギアの整備が あるんだったなどと言いながら、艦長室からさっさと逃げ出していった。 一人残されたバルトは、窓の外を見て気持ちを落ち着けようとした。 プシューン その時、ドアが開いて誰かが入ってきた。 「まだなんか用があるのかよ。」 フェイが戻ってきたと思ったバルトは、窓の外を見たまま不機嫌な声で言った。 「なんか機嫌悪いね。どうかしたの?」 かわいらしい少女の声が聞こえ、バルトは慌てて振り返った。 そこには、いとしい従妹の姿。 「これあげるからさ、機嫌直してよね。」 そう言いながら、マルーはかわいく包装された小さな包みをバルトに差し出した。 「何これ?」 なんでこんなものをくれるのかわからないといったバルトの表情に、マルーは微笑みを 浮かべて言う。 「やっぱり忘れてる。今日は若の誕生日でしょう。」 「そういやそうだったな。」 自分でも忘れていたことを、マルーが覚えていてくれたことがうれしかった。 「開けてもいいか?」 「もちろん。」 バルトが包みを開けていくと、端からアイパッチのようなものが見えた。 バルトの脳裏に、過去の思い出が蘇る。 (確か前もらったアイパッチには、パンダが縫い付けられていたよな・・・) バルトの顔がひきつっていった。 「そんな顔しないでよ。今度のはなんのアップリケも付けてないんだから。」 憤慨して言うマルーの言葉に、バルトは安心してアイパッチを取り出した。 問題のアイパッチは前で留めるデザインになっていて、留めるところについている飾りが カッコ良く、一目でバルトは気に入った。 「へぇ、かっこいいじゃないか。ありがとな、マルー。」 「どういたしまして。ね、それ付けてみてよ。」 「ああ。」 バルトが付けているアイパッチを取り、もらったアイパッチを付けようと探すと、 それはマルーの手の中にあった。 「ボクが付けてあげるから、若は椅子に座って。」 そう言って、マルーは椅子の前に立った。 バルトはその言葉通りに椅子に座った。 アイパッチを付けようとマルーがかがみこみ、至近距離で二人の目が合ってしまった。 「若、目は閉じてて。緊張してうまくできないよ。」 赤い顔をしてマルーが言った。 バルトが目を閉じると、マルーはアイパッチを頭にまわし留め始めた。 「きつくない?大丈夫?」 「ああ。」 目を閉じているとマルーの息を顔に感じ落ち着かない。 「もういいか?」 バルトはそう言い目を開けようとするが、マルーに止められてしまった。 「もうちょっと待って。」 バルトがはやくしろと思っていると、首に腕がまわされ、唇に柔らかいものが触れた。 驚いてバルトが眼を開けると、マルーは唇を放し頬を赤く染めて言った。 「若、お誕生日おめでとう。」 それは忘れられない思い出が生まれた瞬間。 <了> |
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大げさに言うと私の若マル話の原点。 マルー達って幸せだった小さい頃のことをあんまり覚えてないんじゃないかなと思ったんで、 それを埋めたくて書いた話です。 目標として、マルーは普段あんまり泣かない子だから思いっきり泣かせるということと、 お約束の展開(笑)があったんですが達成できたかな? オマケの方は、邪魔したままだと若に怒られそうだったんで(笑)書いてみたんですが、 思った以上に甘くなってしまって、書いてて少し恥ずかしかったです(笑) |
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