雨の向こうに


『この時期、この地方は雨が降りやすいですから、傘をお持ち下さい。』
心配性だと思ったメイソンの言葉が本当だったと分かったのは、その彼に頼まれたモノを買って
雑貨屋を出た時だった。
ユグドラシルを出た時には、雲の合間から少しは青色が覗いていた空も今はすっかり灰色に
染まり、辺りも一足早く夕暮れになってしまったかのように薄暗くなっていた。
「雨、降ってきちゃったね。」
「・・・あぁ。」
曇り空を見上げながら、背の高い青年と小柄な少女の間でポツリと言葉が交わされた。
この地方特産の紅茶の葉が欲しいというメイソンの言葉に便乗して、バルトとマルーの二人は
気晴らしも兼ねて街へ出てきていた。
町の郊外に停泊しているユグドラシルまで充分歩いて帰れる距離だが、傘なしで帰れば
びしょ濡れになる事間違いなしだった。
「で、でもさ、傘があって良かったよね。」
「・・・あぁ、一本だけだけどな。」
気を取り直すように言った言葉にボソリと返されて、マルーも黙ってしまった。
傘があるのに帰れない理由、それがこれだった。
傘はいらないという自分に、万が一、雨が降った時に、雨に濡れてマルーが風邪を引いたら
どうするのだというメイソンに押し切られて、バルトは一本だけ傘を持ってきていた。
その時は、相変わらずメイソンは過保護だなと呆れていたのだが・・・。
(爺の言う事をちゃんと聞いときゃ良かった。)
店を出た瞬間からバルトは後悔しているが、今更どうにも出来ない。
軒先から一定のリズムで落ちる雫をそれとなく見ながら、待てよとバルトは思い返した。
あのやり取りの時、メイソンは一本の傘をバルトに渡した。
深く考えずに差し出された傘を持ってきたが、記憶の底をさらっても、
確かにメイソンは一本しか傘を持っていなかった。
(・・・どっちにしろ、同じ結果になってたって事か。)
今頃、自分の思惑通りの展開になってほくそ笑んでいる老執事の顔が浮かんできて、
バルトは内心大きな溜め息をついた。
それから、隣で止みますようにと祈るように空を見上げている従妹にチラリと視線を送り、
覚悟を決めた。
雨が地表の熱を奪っているのか、なんだか肌寒くなってきていた。
このまま雨が止むのを待っていたら、風邪を引いてしまいそうな気がした。
そうなったら、傘があったのにどうして帰ってこなかったのだと、お説教をくらうのが
目に見えていた。
しかも、マルーに甘いシグルドまで加わってのW攻撃になることは間違いない。
バルトは今度は実際に大きく息を吐き、マルーに向き直った。
「待ってても止みそうにねぇし、しょうがねぇから帰るぞ。」
「えっ、でも・・・。」
「二人だと小せぇけど、どうにかなるだろ。ほら、行くぞ。」
マルーの反論を遮って、バルトは傘を広げてさっさと歩き出した。
置いてきぼりをくらいそうになり、マルーは小走りで先を行く青年を追いかけ、その隣に収まった。
そのまま並んで歩いて行った・・・つもりが、何度か歩いては小走りを繰り返す事になり、
マルーはとうとう抗議の声を上げた。
「若、歩くの速いよ。」
「そうか?お前が鈍くさいだけだろ。」
「あ〜っ、ひっど〜い!!コンパスが違うんだから、しょうがないでしょ!」
「そうか、お前チビだもんな。」
「あのね、若を基準にしたら大抵の人はチビになっちゃうでしょうが!」
「俺が基準じゃなくても、ちっこい方だろうが。」
「違うもん!」
からかうようなバルトの口調が悔しくて、マルーは猛然と言い返していたが、
ふと自分がずっと歩いている事に気がついた。
いつの間にか歩調がゆっくりになり、マルーのペースに合わされていた。
「どうした?」
急に黙ってしまったマルーの顔を、バルトが覗き込んだ。
「何でもないよ。・・・若、ありがと。」
さりげない優しさが嬉しくて、自然と綺麗な笑顔を浮かべたマルーに、一瞬だけ見惚れてから
バルトは明後日の方向に視線を向けた。
「何の事だよ?」
「何ででも。とにかく、ありがと。」
照れくささが滲み出ている従兄の声に、マルーは小さく笑いを漏らした。
何か言っても墓穴を掘ってしまいそうで、バルトは沈黙を守る事にした。
マルーも口を噤み、静かな空気が流れた。
傘の上に雨が落ちる音だけが密やかに響く。
規則正しい音の中に、時々頭上に広がる木々からの雫の音が混じって、
不思議なハーモニーを奏でている。
それに耳を傾けながら、お互いに自分の心臓の音が相手に聞こえていないか心配していた。
今にも触れ合いそうな腕から相手の体温が伝わってきそうで、
妙に鼓動が大きくなっている気がした。
普段の従兄妹同士の距離より、一歩近付いた距離。
いつも感じている安心感よりドキドキが大きくなってしまう、そんな距離。
黙ってからそれを意識してしまって、尚更言葉が出てこなかった。
妙な緊張感に耐えきれず、マルーが視線をあちこちに走らせた時、視界を青紫が横切った。
そちらに視線をやって、道端の緑の中で咲く花を見つけた。
「あっ、紫陽花が咲いてる。」
「おいっ。」
花に向かって方向転換したマルーを、バルトは慌てて追いかけた。
道の端にしゃがみ込んだマルーに雨が当たらないよう傘を傾けて、彼女の頭越しに花を眺める。
小さな花がいくつも集まって一つの大きな花束になったように見える花は、
雨の雫を弾いてその美しさを増しているかのようだった。
「ねぇ、若。紫陽花ってこの花びらに見えるモノが、本当は花びらじゃないって知ってた?」
後ろを振り返らずに視線を紫陽花に向けたまま、マルーが後ろに立つバルトに尋ねた。
「いいや。先生にでも聞いたのか?」
「ううん、ビリーさんに聞いたんだ。
 孤児院でも花を育てているせいか、ビリーさんって結構花に詳しくて。
 色々と教えてもらったよ。」
マルーの口から銀髪の少年の名が出てきた瞬間、バルトは憮然とした表情をした。
従妹がビリーについて話すのを聞くのは、非常に面白くない。
前を向いていてバルトの様子に気付かないマルーは、更に話を続けた。
「ビリーさんによると、この花びらに見えるのはガクって言ってね、
 時期によって色を変えていくんだけど、植えられている土によっても色が違ってくるんだって。」
「ふ〜ん。」
かなりいい加減に相槌を返しながら、話を変えるのに良いモノはないかと探していたバルトは、
濡れる葉の上で雨を楽しんでいるかのような小さな生き物を見つけた。
「それより、マルー。そこにカタツムリがいるぞ。」
あからさまな話題転換だったが、マルーは気付くことなく関心をカタツムリに向けた。
「うわ〜、ちっちゃいね。可愛いなぁ。」
バルトは歓声を上げるマルーを見ながら、ナメクジだと悲鳴を上げるくせに、ナメクジに
殻がついただけのように思えるカタツムリだとなんで可愛いって言うんだとか思ったけれど、
賢明にも口に出さなかった。
ユグドラシルまでの帰り道、この傘の中の狭い空間で口喧嘩して気まずくなるのはご免だった。
その代わりにふと思いついた事を言葉にする。
「それにしてもさ、カタツムリって良いよな。」
「何が良いの?」
マルーが振り返って後ろの高い影を見上げた。
疑問を浮かべた少女の顔を見下ろしながら、バルトはその理由を答える。
「カタツムリって、結局は家を背負ってるみてぇなもんだからさ、
 買い物とかに出かけても帰る必要がねぇって事だろ?
 それって羨ましいよな。特にこんな雨の日はさ。」
「若・・・、それって物凄くものぐさな発言だよ。」
軽く笑い声を上げてから、マルーはまだ笑いが残る声で答えた。
それから、ふと表情を改めて、目の前にいるカタツムリに目を戻した。
「帰る必要がないって羨ましい事かな?ボクはこういう帰り道って好きだよ。」
「なんでだ?」
思いがけなく反論されて、バルトは不思議そうな表情をした。
「上手く言えないんだけどね、ちゃんと帰るべき所があって、
 そこには待っていてくれる人達がいて、あったかいお茶とか食事とか用意されてて・・・。
 そういうのって、すごく贅沢で幸せな事だと思うんだ。
 帰り道ってそういう事を実感できて優しい気持ちになれるから・・・。
 だから、好きなんだ。」
マルーがゆっくりと語る言葉が、大地に雨が染み込んでいくようにバルトの心に溶けていく。
自然と顔が穏やかになったバルトに気付かずに、マルーは言葉を紡いでいく。
「それでいつかね、遠い将来、ボクだけの本当の家族が待っていてくれる家に帰る事が
 出来たらいいなぁ、なんてね。こういう雨の日の帰り道は特に思うんだ。」
「マルー・・・。」
世間の大方の人達には当たり前な事を切に願う従妹の気持ちが伝わってきて、
バルトの胸は痛んだ。
家族だからと無条件で向けられる愛情は、遠い過去に消えてしまった。
親代わりに愛情を注いでくれる人達はいるけれど、それでもやっぱりどこか違うのだ。
申し訳なく思いながらも、心の何処かで渇望する自分がいた。
父の力強い腕を、母の優しい手を。
     もう戻る事はないと頭ではよく分かっているのだけれど。
従妹の気を引き立たせる良い言葉が見つからず、バルトは名を呼ぶ事しかできなかった。
けれど、マルーはそんなバルトの気持ちを敏感に感じ取っていた。
同じ気持ちを共有する人がすぐ近くにいる事に感謝する。
マルーは一瞬目を伏せてから立ち上がり、元気な顔で彼の方を振り返った。
「ボクにしてはセンチメンタル過ぎるって言おうとしたでしょ?
 いいよ〜、言われなくても分かってるもん。」 
こうしてすぐに本音を隠して強がる従妹の姿に、バルトは顔を微かに顰めた。
「バ〜カ、んな事言う訳ねぇだろうが。」
即座に強く否定してくれた従兄の言葉が嬉しくて、マルーは表情を和ませた。
その時、風が強く吹いた。
木々から落ちてくる雫が傘に当たる音が、一際大きくなる。
強く願っている想い、今なら口にしてもいいだろうか?
マルーはふとそう思った。
言いたくて伝えられない気持ちを、雨の音に紛れてしまう今なら・・・。
マルーがゆっくりと口を開いたのに、バルトは気がついた。
「いつか・・・時は・・・・・。」
雨の音が大きくて、マルーの声が切れ切れにしか届かない。
もどかしい気持ちでバルトは風が止むのを待った。
けれど、風が穏やかになると共にマルーも口を閉じた。
「マルー、何を言ってたんだ?」
「・・・秘密。
 ねぇ、それより早く帰ろう。暗くなってきたよ。」
イタズラっぽい表情を浮かべて、今度はマルーがバルトを置いて歩き始めた。
「あ、おいっ!待てよ!」
雨の中をずんずんと歩いていく少女を追いかけ、バルトは彼女を傘の中に捕らえた。
「ユグドラに帰ったら、爺に早速このお茶の葉で紅茶を入れてもらおうね。」
バルトが訊ねようとしたタイミングを狙っていてかのように、マルーに極上の笑顔で言われて、
問いかけの言葉がバルトの喉に引っかかったままになる。
それからの帰り道の間も、バルトはとうとう雨に消えた言葉を聞き出す事は
出来なかったのだった。


いつか家族の元に帰る時には、キミも一緒だといいな。
手をつないで一緒に帰ろう、My Sweet Homeへ     .


<了>




雨って憂鬱な気分になる時もあるけど、静かな雰囲気とか結構好きだったりします。
あと、紫陽花(この漢字がすごく好きです。余談ですけど、花の漢字ってその花の雰囲気を
よく引き出してますよね。向日葵とかも好き)も。
今回の話は雨→紫陽花→カタツムリ→家という連想ゲーム(笑)から出来ました。
爺の密かな陰謀が1番のお気に入りです(笑)



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